「ルル!」
 白い腕から落ちる紫陽花のルルを目掛けて糸が伸びる。しかし、それは地面から生えてきた影が切り裂いた。
「いかせへんで!」
 背後を奪い、足を踏みつけて錫杖の中程を握り、胴を中心にしてコンパクトに振り回す。
 嵐のような打撃だが、相手は蜘蛛の力を持つソリティアンだ。人よりも腕が四本多いため、いとも簡単に弾かれる。
「ややこしいんや、ほんま! アイはん、特にあんたは!」
 声を荒げて、更に速度をあげる。
「初めて会った時は人間で、二度目はソリティアンで、今はソリティアンの敵だかなんだかしらんけど!」
「わからなくて結構」
 息が切れてきた美影とは対照的に、眉一つ動かさない。
「その色づいて腐った闇、祓ったるからな!」
「どうかしら?」
 イルは鎌のように口元を歪ませると、その端から牙が伸びた。
 それだけではない。頬を包む蜘蛛の足が伸び、八本の手足が地についてぐるりと体が回る。
 およそ三メートルほどの蜘蛛が完成した。更に蜘蛛の頭からは紫の蝶の羽が生えたイルの上半身が伸びる。
 その姿を見た美影は思わず声を荒げた。
「なんやそれ、おかしいやろ、野生化やん!」
 答えは薄い笑みと棘のある糸を以って返された。
 すかさず錫杖を投げ、出来た影の中へ沈む。
「隠れても無駄よ」
 煙のように鱗粉をばらまき、糸で結界を作る。
 迷い込んだドバトが紫に染まった糸に触れた。
 ドバトは一瞬で萎み、ミイラとなった。
 鱗粉に含まれた毒素が粘度のある糸に集まり濃縮したのか、はたまた二つが組み合わさることで水分を奪う物質となったのか。
 いずれにせよ、立体的に作られた紫の檻に隙はない。
「隠れるつもりなンかないわっ!」
 ライジング・ファントムの声に呼ばれるように、イルの足元から光が迸った。
「えっ……!?」
 あしが三本、消えた。
「所詮は闇の力のカス。完璧な光の加護には無意味だったみたいね」
 サーベルでくるくると糸を巻き取り、紫色の綿飴を作り上げて、片手で生みだした光の中へ消し去る。
 なんとか再生を試みるイル。
 しかし、すでに美影は錫杖の先端を向け、目に土地神の力を宿していた。
 空気が震え、ライジング・ファントムの周りの空間が歪む。
 ライジング・ナイト共通の必殺技、悪は消し去り善のみが生き延びられる、ライジング・ジャッジメントだ。
「行くで、ライジング、ジャッジ……」
 と、あと三文字というところで瞳が突然丸くなる。
 そして錫杖を上に向け、苛立ちを潰すように樹の大地へ叩きつけた。
「あかん。アイはんも消えてしまう……」
 ぽつり、とつぶやく。見えたのだ。見えてしまったのだ。
 ライジング・ジャッジメントを打ち込んだ後の、相手の姿を。
 イルだけでなく、アイも消滅する。
 イルは悪だ。人をかどわかし、人の体を使い、人の心を使い、人を弄び、殺すことも躊躇わずにしてきた、どうしようもない悪だ。
 一方、アイはいいように操られてきたことは愚か、かつてはソリティアンハンターとして、更には野生化や犯罪者を処してきた必要悪だ。
 下った判定は消滅。
 だがアイの一端を知る美影にとって、それはたまらなく理不尽なジャッジであった。
 無言の異議に対して、ホーリードールサキが正論を投げつける。
「どうせ闇に支配された怨霊に心を奪われるようなクズなんだから、早めに潰さないと!」
 そう言い、蜘蛛の懐へ飛び込む。
 迂闊という言葉を安く感じさせるほど短絡的な行動であった。
「あなたから取り込んであげるわ!」
 蜘蛛の口がばっくりと開き、ホーリードールの体を待つ。
 その口を、空から降り注いだ重い二撃が力づくで塞いだ。
「うーん、スカされたわ」
 帽子を深くかぶった少女が一人、肩をすくめてぼやく。
 美影はその素振りと後ろ姿だけで、すぐに誰かわかった。
「泰音はん!」
「みー、悪霊とアイさんを切り離すせばいいんじゃないの?」
「あ、その手があったな!」
「ホントおっちょこちょいなんだから」
 直角に持ち手のついた鉄の大砲を回しながら、樹木に嵌った蜘蛛女の方に体を向ける。
「人形さんは残った闇を確実に消すように」
「は、はい!」
 突然現れた光のある声に命じられて、サキは思わず背筋を伸ばした。
「そんじゃ、いこっか」
 踵でリズムを刻み、軽やかに且つ不規則に左右に振れながら野生化しかけたイルへと近づく。
 後ろかと思えば左。
 右かと思えば、後ろ。
 後ろとみせかけて前と思ったら上。
 美影が影を渡ったのに対し、泰音は体重を感じさせずにイルの体を渡り、翻弄に翻弄を重ねていた。
「鬱陶しい!」
 八本の内三本の腕を振り回して泰音を遠ざけようと試みる。
 しかし、紙一重で避け、イルの背中に46cmは超えるであろう銃口をつきつけた。
「アデュー」
 ズドン、と重い一撃が撃ち込まれた。
 念仏も呪文もなく放たれた、単純な霊力の塊がイルを貫く。
 それは肉体から魂を離し、人よりも一回り大きい蝶と蜘蛛が青白く光ながら争っていた。
「そこや、ライジング・ジャッジメントぉ!」
 錫杖を縦に振り下ろして空気を切り裂き、黒い刃が蝶の羽を削ぎ落とした。
 すると青白い光は消え失せ、限りなく黒に近い紫を古い工場の煙突のごとくどくどくと吐き出し始めた。
「本命、みっけ!」
 サキが細長い剣を突き出し、素早く足を伸ばして黒紫へ剣戟を放つ。
 依代を失ったそれが消滅するのに、さほど時間はかからなかった。
 残された蜘蛛は光の粉になり、元いた体へ降り注いだ。
 するとどうか。
 人の形を棄てかけていた女の体は純粋な人間へと形を変えていくではないか。
 蜘蛛の足も何もかも消えた。もはやソリティアンではない、ただの乙女がうつ伏せになって倒れていた。
「アイはん……」
 これでよかったんか、と胸の奥でつぶやく。
「よかったんじゃないの? 人間に戻れて」
 ぐぐっと背伸びをしながらなんとなく感じた心の声に答える。
「せやけどソリティアンになっても人間やった。ソリティアンも普通の人間やって、教えてくれた人や。ソリティアンやから、出来たことや……」
「わかるよ。うん、よくわかる。でなきゃ魂ごと追い出したつもりが、この人の魂だけが残るなんて、理解できない」
 こらせ、と、女性の体を背負う。
「そんじゃ、この人は安全な場所に移すから」
「泰音はんは行かんの?」
 泰音は小さく息をついて、頬を少しだけゆるめた。
「まだ役者が足りないからね」
 
 ◇

 ◇

 ◇

 幸いにもアイ様と戦わずに済んだ。
 美影がアイの方に向かってくれたことを見送り、フィアレスはキッと闇のルルをにらみつけた。
「始祖だか元祖だか知らないけど、アル様達が積み重ねてきたものを壊すなんて、許さない!」
「許すもなにも、あたしらが謝る相手なんてじきに居なくなるんじゃないかしら」
「謝る気持ちすらいらない! だって、この私が許さないんだから!」
 熱い想いと巫山戯た言葉の応酬が続く。だが、その裏で二人は見えない戦いをしていた。花粉のぶつけ合いだ。
 植物型ソリティアンに取って最も脅威なのは虫型でも獣型でもない。同類である植物型ソリティアンだ。
 相手の花粉により花が受精することで心を奪われ、操り人形となるケースがある。もっとも殆どが一日と持たず野生化し、物言わぬ草木へ変貌してしまう。
 互いにそれを知り得ているからこそ、大きな動きも取れずに舌戦を繰り広げているのだ。
 濃ゆい均衡を打ち破ったのはフィアレスの方からだった。こっそりとカブト・ハガネを背中から服の下に忍ばせ、胸元のアタッチメントに接続させる。
「レディ……アクション……!」
 気づかれないように、腹話術のように唇を動かさず、ボイスコマンドを入力する。しかし、溢れる熱気は隠しきれなかった。
 殺気の変化に気づき、ルルが身構えた瞬間、フィアレスの体がフワリと浮いた。
 そこからはフィアレスの一方的な攻勢が続いた。限りなくゼロになった体重で、伸縮性を持つ蔓を使い、ルルの方へ飛び込み、肩口に右膝をめり込ませる。衝突の瞬間に体重を膝へ全て載せた。少なくとも右腕はつぶした。
「一つッ! アイ様を利用したことッ!」
 続いて音速に迫るかかと落としがオーバーヘッド気味に飛び出し、左肩を削ぎ落とす。
「二つッ! アンタらのファースト世代の不法が世界を歪ませた過去ッ!!」
 まだまだ終わらない。鋭い苦痛に歪む顔へ水平チョップを放つ。恐らく顔から上半分を削ぎ落とされるであろう勢いだったが、さすがのルルも、これだけはなんとか何重にも束ねた蔓で防いだ。
 それでもフィアレスの勢いは気迫とともに増すばかりだ。
「三つッ! この期に及んでまだ未来をぶっ壊そうとしてる今ッ!!!」
 がら空きになっていた腹部へ力強くつま先を当てる。
「な、なんなのよ、普通のソリティアンじゃない……!」
 腹部を貫かれ、うめき混じりでルルはつぶやいた。
「けれども、これなら……!」
 ぎゅるりとフィアレスの足を、紫色の蔦を這う。
 何本もの根が入り込み、闇色の細胞を送り込んだ。
「この程度で呑まれるほど……!」
「最後まで抵抗できたら、その熱血馬鹿な性格だけは残しててあげる」
 勝利を確信し、薄汚い笑みを浮かべた瞬間だった。
 一体化しかけたフィアレスの足からルルの体に向けて、鮮烈な痛みが迸った。
「たかだか足の一本くらい、持ってけぇええええ!」
 左足でルルの顔面を踏みつける。
 互いの体が離れ、ルルに取り込まれかけたフィアレスの足が爆発した。
「やばっ」
 勢い余ってフィアレスの体が竜血樹の天辺から落下する。
 不思議と焦りも不安もなかった。
 脳髄さえ残れば、また立ち上がれる。
 それはソリティアンの特性を熟知しているからこその落ち着きであり、度胸であった。
「みんな、ファイト……!」
 胸のカブト・ハガネを握りしめ、フィアレスはゆっくりと目を閉じ、目覚める機会を待つことにした。
 しかし、地面にぶつかるよりも前に、片手で彼女を受け止める者がいた。
「変わらないんだね、昔から」
 フードを被った少女だった。
 空いた片手を着地をするまでに何度も樹木に叩きつけ、減速を図る。
 ひび割れたアスファルトが近づいてきたところで、少女は叫んだ。
「アキ!」
「ミズキチ、左足伸ばして!」
 もう一人、小柄な赤髪ショートの少女が手を伸ばし、飛ぶ。
 二人の体を腕で抱え、衝突の威力を肩で流すと、そのまま華奢な両足で地面に着地した。
「あなた達は……」
「未来の親友、かな」
 照れくさそうにフードの少女が笑う。
 顔はよく見えないが、優しげな瞳と腕から伝わる同じリズムで鳴り渡る鼓動から、少なくとも今からでも友達になれそうだと直感した。
 ソリティアンが友達なんて、と思いつつも。
「私にも未来があるんだ……」
 フィアの声が一気にトーンダウンする。
 電池が切れたロボットのように、ぐってりと崩れ落ちた。
「あー、私もフィアと喋りたかった!」
「ダメ。私はともかく、アキはこの時代にはいないんだから……」
 人差し指を立てて、赤髪の少女を諌める。
「さ、見届けよっか。この時の、この街のおわり方を……」
 炎が上がる竜血樹の頂上を見て、二人の少女は終わりの始まりを確信した。


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初版:2015/03/11

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