フェイトの側から離れたセインは湯気の立つマグカップを片手に、寝室へと移動していた。
 四つあるベッドのうち、一番手前には先ほど言葉を交していた青髪の少女が上体を起こしてうつむいていた。
「なんだ、起きていたのかよ、チビフェイト嬢」
「もう一度その呼び方で呼んでみろ。喉を切り裂いてやる」
 眉間に皺を刻んで応える。
「おお、そいつは怖いね。なら、なんて呼べばいい?」
「……ボクに相応しい、カッコいい名前」
「ハイレグマントちゃん」
 見たままの姿を、セインは述べた。競泳水着のようなフェイト特有のバリアジャケットがマントすら黒くなった服装であった。
「売られたケンカは買うぞ!」
 容姿からは想像もつかないような荒らげた声を放つ。
 しかしセインはそんなことを気にもとめず、その鼻先にマグカップをつきつけた。
「その前に一杯どうだよ」
「なんだ、その白くて生暖かい液体は」
 記憶の片隅にすら無いものを差し出され、戸惑い、訊ねる。
「セインさん特製ホットミルク。何かしら身体に入れないと、活動できないだろ」
「ミルク……母乳、というヤツ、か?」
「そこらの家畜のな。あたしから出たら……やばいね、事件だね」
 などと余計な一言を付け加えているうちに、青髪のフェイトは中身に鼻を向け、くんくんと匂いを嗅いでいた。
「臭い、これはボク向きじゃない」
「そっか、じゃあこっち」
 枕元のサイドテーブルにマグカップを置くと、ポケットから空のコップとオレンジを取り出す。
 少女は首をかしげ、訊ねた。
「なにする気だ?」
「ふんぬ!」
 返事と言わんばかりにオレンジを握り締めた。そこから出てきた汁を器用にコップへ流す。
 麻紐のようになってしまったオレンジを見て、フェイトの形をしたものは眉を上げた。
「……見世物としては面白い」
 そう言い、コップを受け取る。
 こちらも鼻を近づけ、香りを確かめる。
「素手というのは気になるが」
 呟き、ちうと吸い上げる。特有の酸味が舌に触れた瞬間、目尻が緩み、一息に飲み干した。
「悪くない……人間らしからぬ握力は気になるが」
「どうだかね。人間だってこのぐらい出来る人、いるんじゃない?」
 ベッドに掛けてあったマフラータオルで手を拭き、濁すように答え、言葉を続ける。
「そうそう、普段からそんなカッコじゃはしたないからこれ着とけ」
 胸に押し付けた布は柔らかく、広げてみると黒に近い灰色の保守的なワンピースになる。
 セインが着ているものによく似ており、少女は思わず唸った。
「……むぅ」
「そのハイレグマント、バリアジャケットだろ? 着替えないと無駄に魔力消耗すンだろ」
 提案に対し戸惑う少女を見下ろし、セインはニマニマとしながら言う。
 その表情から反発するだけ無駄だと悟り、少女はセインを上目遣い気味に見やる。
「……あっち向け」
「ホイ」
 くるりと反転し、しかめっつらの少女に背を向ける。同時に少女はバリアジャケットを魔力の塵に返すと、いそいそと修道服を見に纏い始めた。
「近くの教会からもらってきた。セインさん、意外と顔は広いのだよ」
 背はそのままに、声をかける。少女は簡単に無関心そうに、ただ「ふうん」と答えた。
「それとお前の名前だけど、いろいろ調べたんだけど、いろんな呼び名があるのな。マテリアル・エルとか雷刃の襲撃者とか……エルじゃなんか無駄に賢そうだから、雷刃でいい?」
 背中を向けたまま一方的にしゃべり、決める。
 ぷはっ、と服から顔を出してから、少女はようやく意見が出来た。
「まるでボクが頭が悪いみたいな言い方だな」
「でも雷刃の方がカッコいいだろ」
「それは、うん、まあ……」
 曖昧な返事だった。しかしセインはそれを肯定に作り替えて、扉の向こうの現上司へ伝達した。
「フェイトお嬢サマー。こいつ、雷刃って呼ぶよー」
「うん、いいよー」
 素早い回答だった。
 セインは満足したような笑顔になると、もう一度くるりと反転して雷刃の方に顔を向けた。
 やや袖がダブダブとした服は、どうにか雷刃の身をつつんでいた。
「よし、これで仕上げ」
「うわっ」
 どこからか取り出した真っ白なスカーフを被せる。髪がひっかからないように、蒼く長い髪をそっと取り出すと、乱れた部分を手ぐしで梳く。 
 その優しさを、雷刃はむげに払った。
「余計なお世話だッ」
「っていう割には耳が赤いね」
 にしし、と悪ふざけめいた笑い声が届く。
 払われた手はいつの間にか背後から少女の胸元に伸び、髪の色と同じ細いリボンでスカーフを留めていた。
 雷刃はぷくりと膨れると、セインをギロリと睨んだ。
「せめてその間抜けな態度を改めろ」
「なんだよ、こういうの嫌いなタイプか」
 さもつまらさなそうに肩を落とす。
「じゃあ、マジメな話をしよう。なにか思い出せた?」
 自分のコメカミを指差し、ややジェスチャー過剰気味に訊ねる。雷刃は少しだけ考える仕草を見せてから、首を横にふった。
「なら方向を変えよう」
 そう言い、ポンと手を叩く。
「今一番したいことは?」
「……」
 ぼんやりとした問いの答えを探るべく、雷刃はぎゅっと目を瞑った。
「ボクが一番したいこと」
 イチバンシタイコト。
 頭の奥に、言葉を届かせて反応を伺う。
 一瞬、ゴクリと唾が喉を通る。
 その音が自分の中で響いた時、彼女は瞳を大きく開いた。
 ◇ ◇ ◇
 これが終わったらお風呂、と若き執務官は心の奥で呟き、食器を洗う。先ほど見たシグナムの湯上り姿が少しだけ羨ましかった。
 なにはともあれ今回の遠征の目的が一段落したのだ。少しだけ長めに湯につかり、少しだけ多めに寝よう。
それともせっかくだし、少女が休んだらセインと他愛のない世間話でもしようか。
 などと想いをめぐらせ、最後の一枚を洗い終える。
「ふう」
 ウイークリータイプの貸し部屋を選んで正解だった、と思う。堅苦しいホテルと違い、普段の生活リズムをそのまま移行出来たのは、気持ちの上では大きな助けだった。
 それでも疲労の溜まり方ははいつも以上だった。
 目的のものはかつて下したはずの闇の欠片。それも自分にそっくりと来た。それでいて、全く似ていない。特に、鋭い瞳はまるで悪い自分を見ているような気がして、どことなく落ち着かない。
 手を洗い、シンクの水気をふき取ると、そばのハンガーにエプロンをかけて寝室へ向かう。
「おっふろ……♪」
 何となく音色をつけてつぶやく。あとは手前のベッドに置いてあるバスタオルを持ってくるだけだ。そして踵を返して風呂場へ向かい、少しだけ前にセインが気を利かせて張った湯に溶け込む。そうだ、いっそセインも、起きていたらあの子も誘っちゃおう。
 だんだんと楽しくなる思案に心が踊る。しかし、寝室のドアを開けた次の瞬間、そのリズムは一気に砕けた。
「えっ」
 もし手にコップを持っていたら間違いなく落としている。そのぐらい、目を疑う光景だった。
 寝室の床で、セインが少女に抑えつけられて、首を深々と噛まれているのだ。
「あぎぃ……!」
 苦しそうな声が足元から響く。
「セイン!」
 フェイトは慌ててセインから少女を引き剥がし、羽交い締めにする。しかし思った以上の体重に襲われ、背中を床に打ち付けられる。
「はぐっ!」
「だうっ!」
 少女の小さな頭がフェイトの顎に当たり、似たような声で互いに痛がる。
 しかしフェイトは力を緩めず、ジタバタする少女を反転して押さえ込んだ。
 やや血に濡れた少女の口元に、フェイトは思わず眉をしかめた。 
「はがぁ……」
 パクパクとしていた少女の口から音が漏れる。徐々に動きも落ち着いていったが、比例するように息が荒らくなっていった。
「……なんだ、……あれ……」
「えっ」
 まさかと思い、セインの方を振り向く。
「いちち」
 と、右の首筋を押さえていた。指の隙間から、皮膚の下にあるべき部分がちらりと見えた。細いケーブルや骨格フレーム……ほとんどが無機物だ。
「みちゃいやん」
「じゃなくて!」
 茶化そうとするセインを遮り、フェイトが叫ぶ。
「なんでこんな……そうだ、えと、確か近くに知り合いのッ」
「落ち着いてってば、フェイトお嬢様」
 今度はセインが遮る。
「そいつに少しだけ魔力あげて。なんか酷い……バグっての?あるみたい。でなきゃ今度はお嬢様が噛み付かれるよ」
「だけど、そんなことしたら……」
「いいから!……闇の欠片っつっても、悪いのは使うヤツだろーがよッ!」
 慎むことなく感情的に叫び、そのまま唾棄するように言葉を投げつける。
 その勢いに負け、フェイトは彼女の意見に従うことにした。
「バルディッシュ、少しだけ……」
 そう言い、胸元の金色の三角形を少女に掲げる。そこからあふれた光が少女に注がれていく。次第に呼吸が穏やかになっていった。
「ひぐ……」
「セイン、大丈夫?」
 背後から聞こえた呻きに、フェイトは心底心配そうな声で訊ねる。
「なんとか」
「近くで常駐してる知り合いの技術者に声かけるから……」
「助かります」
 素直な回答に、フェイトは困ったような表情で微笑んだ。
 やがて少女の息が落ち着くのを確認し、フェイトは少女の身体を優しくベッドに戻した。
「これで、よしっと」
「寝顔は可愛いんですよねぇ」
 首筋を押さえながら、セインは言った。
「セインも休んでて」
「りょーかいです」
 脱力した声で答えると、セインは右半身を引きずるように、ベッドに向かって飛び乗った。
 ポタタ、と赤いシミが数滴、シーツに零れる。
「……久々に実感しちゃったな」
 そう呟くと、セインはぎゅっと目をつぶり、ゆっくりと深呼吸を始めた。


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初版:2010/12/18

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