丁寧に紡がれる配線。
 優しく貼られる人工皮膚。
 何よりも温かいてのひら。
 ほかほかしていく気持ちに目をとろけさせながら、セインはだらしない笑みを晒している。
「羨ましい、私なら初対面の相手にこんな顔は出来ないよ」
「だってこんなに丁寧な手当て、初めてなんですもん。愛を感じちゃう」
「人よりのんびりしているだけさ」
 乳液を塗り込むようにセインの首筋から右肩に掛けてゆっくりと撫でる。
 身長に見合う大きな手だと言うのに、大きさからは想像できないやわらかな圧に、セインはまた一つ顔をほころばせた。
『マスター・アリオン、検査について報告です』
 ピピピ、とアラームがなり、スーツケースが堅苦しく喋る。
「きっと良くない報告だね」
『御推察の通りです。セイン様の機能にいくつかの不備が見られました』
「端的に報告を頼むよ」
『主だった物として、ISであるディープダイバーが利用不能になっております』
「それは……つまり……」
 アリオンは手を止めて、小さく息をついた。
「それやべえよ、普通の美少女として平和な日常を送るハメになっちまうじゃん」
「それは乙女の夢だね、もはやセインちゃんじゃない。そうなる前にひとつだけ確認したい」
「なンだよォー」
 片頬を膨らませ、不機嫌そうに訊ねる。
 アリオンはその頬を人差し指で突いて、セインの顔を覗き込んだ。
 常に眠りかけている瞳が落雷のように鋭くなっていた。
「ひぅ」
 腰を金槌で殴られたような感覚になり、セインは思わず肩を竦めた。
「ああ、ゴメン。驚かせたかな……けれども他の機能は良好のようだね」
『日常生活に支障がないことは保証します』
「たしかに痛みはなくなってるや」
 天井に向けて両腕を伸ばし、そのまま頭の横に倒して背伸びを始める。
 教会より硬いが、これまで生きていて二番目に柔らかいと感じるベッドはセインをよりリラックスさせていた。
 そこに、音が響く。
― ガタン、と。
「んう……?」
 アリオンがまず首を傾げる。セインもゆっくりと上体を起こした。
「聞こえました?」
「ああ、お風呂場だね」
「嫌な予感しかしない」
 ベッドに一度沈み、そこから生まれる反動で飛び起きる。
「だからこそ行かなきゃ」
「同感だよ」
 アリオンは小さく笑って、鋼の従者に指示を出した。
「アバランチ、バルディッシュとコンタクトを取って。フェイトさんの様子を確認したい」
『かしこまりました』
 アバランチ・インジェクションが恭しく応える間に、セインはさっさと風呂場の方へと向かっていた。

 ◇ ◇ ◇

 ボクじゃない。
 こんなことになったのはボクのせいじゃない。
 なのにどうしてこんなに胸が苦しいんだ。
 触れずに倒れたこの女を。
 濡れた床でうずくまるこの女を。
 同じ顔をしたこの女を。
 ボクはどうすればいい。
 ……いっそこのまま取り込んで……。
 この場に不釣合な妖しい声がささやく。
 ボクは頭を振ってそいつを追い出した。
「……ふぅ……ふぅ……」
 荒れる息、零れる汗、それらが混ざることで生まれるむせ返りそうな、なんとも言えない不快な感覚。
 同じようなものにつきまとわれているのか、金髪の女も肩で息をしてぎゅっと目をつぶっている。
「……おい、どうした」
 と、言ったのはボクじゃない。
 さっきまで一緒にいた……面白いヤツ……セイン、だった、ハズ、確か。
「ぎゃあああああ! ふ、フェイトお嬢様ぁああああ!」
 穏やかだったはずの声が一気に乱れ、刃物みたいに鋭い目をしてボクの胸ぐらをつかむ。
「おいてめえ、フェイトお嬢様に何をした!」
「何もしてない」
 というか怒鳴らないでほしい。先ほど自分がやらかしてわかったが、このお風呂という空間は音の反響が不愉快極まりない。
「じゃあなんで……!」
「セインちゃん、追求するべきは今じゃないよ」
「え、あ……です、ね……」
 背後からふっかけられた言葉で、燃えていた炎が一気に消失した。
 程度といい抑揚といい、恐ろしく狡猾なリズムを持っている。
 ボクはごくりと唾を飲み、声の主を睨みつけた。
 大きな白衣の女だった。
「ボクじゃない」
「わかっているよ、……ええと、フェイトさんの何だろう、キミは」
 ……とぼけたふりをして何を考えているんだか。
 眼の奥が鋭い。ボクのことを注意深く観察している。
 一挙一動に無駄がない、見透かされているようで、なんだか気持ち悪い。
「なんだっていいだろ」
 吐き捨て、ボクは写し身の方に向き直った。
 既にそこにはセインがいて、あちらこちらに手を当てて身体の様子を診ている。
「人間は専門外だけれど、やるしかないよね」
 女は白衣を投げた。セインがそれを受け取り、フェイトに優しくかぶせる。
「……アリオン……?」
 感触に気づいたのか、フェイトは虚ろな声で女の方に声をかけた。
「やあ、フェイトさん」
 まるで紳士のように女は応えた。
「フェイトさん!よかった、気がついた! そのまま永遠に眠られてたらあたし、多分シスター・シャッハからお尻ペンペンだよッ!」
 コイツは、今は少し黙っててほしい……。
「……フェイ、ト」
 ああ、言葉が勝手に零れた。
「うん、へいき」
 くたびれてる。とてもくたびれた声だ。なのに眩しい笑顔だ。きっとボクなんかには出来ない。
 なんて呆然としている間に、周りはせかせかと動く。
「平気って……顔青くなってるっての! アリオンさん、白衣ありがと。ついでにちょっとそこの青いのよろしく」
 取り残されている間に青いの扱いだ。
「おいで、青いのちゃん。悪いようにはしないよ」
「雷刃だ、なんだ青いのって」
 そしてデカい。やけにデカい。ボクの倍くらいあるんじゃないだろうか、身長。
「フェイトさんはあの子に任せて大丈夫。ああ見えて、なかなかどうしてしっかりモノであるって聞いているからね」
 ……伝聞で人を推し測るだなんて、大した器じゃなさそうだ。
「セインちゃん、この子の服は?」
「その辺にパジャマ的な布が置いてあるはずですー」
「ああ、これだね」
 と、デカ女が手に取ったのはうっすいピンク色と真っ白のシマシマの服だった。
「まるで乙女じゃないか!そんなの、ボクには合わない」
 こんなもん、断固拒否だ。
「けれどもなかなか似合いそうだよ。ほら、髪の色と不釣合いなところが」
 胸元で服を重ねられ、オマケに手鏡を向けられる。
 ……悔しいけど、恥ずかしいと思うような仕上がりにはならなかった。
「なかなかいいじゃないか、誰だか知らないけれどセンスは認める」
 というわけで、グダグダとごねるのもオトナゲナイので、さっくりと着てやった。
 さっきまで着ていたぴちーっとしていたやつとちがって、ゴワゴワしていてスースーして、なんだか落ち着かない。
 けれども何かこう、開放された気がした。
 張り詰めていた何かが、こう、一気に、ぶるんと……。
「あははは、かわいいかわいい」
 目が笑ってないぞ、デカ女。
「顔からトゲもなくなって、だいぶフェイトさんに近くなってきたね。それが良い事か悪い事は判りかねるけれども、世間様に溶け込むという点ではいい方に向かっている」
 回りくどいことを言う。ボクとしては正直なところ、今のこの状況が現実かさえも判りかねているというのに。
 もしかしたら闇が創りだした幻想の世界かもしれないし。
 いずれにしても身を委ねて進むがまま過ごせばいい……の、だろうか。
 本当に、それでいいのか。
 ふつりと、胸の奥に黒い炎が湧く。
 生まれた妙な疑念は今ひとつコントロールは出来なくて、ただそこでうずくまる。
 この状況は毒なのか?薬なのか?
 果たしてこんなに温かいだけで、本当にいいのだろうか。
「なにか良くないことを考えている」
 デカ女がじっと目を見て話しかけてきた。
「良いか悪いかくらい、自分で決めさせろ」
「……それは尤もな意見だ」
 と、不意に眠たそうな瞳にぬくもりが宿る。
 なんてヤツだ、とボクは思った。
 こいつの全てが、まるでウソのように思えてきた。
 本能がデカ女から距離を作り、セインのぬくもりを求める。
「セイン、そいつは、大丈夫、なの、か」
 取って付け加え、セインの肩越しにフェイトの心配をしてみせる。
「さあね」
 苦笑いで答えられた。
「アリオンさん、そのおっきい肩貸してください」
「お安い御用だよ」
 そう言い、セインの方に向かおうとする。
 ボクは思い切って、それを遮ってやった。
「おい、雷刃?」
「ボクが手伝う」
 多分、デカ女に対して、きっと睨んでいる。
 けれどもデカ女は薄く笑って、そして言った。
「セインちゃん、さっきまで寝ていたベッドに。先に行って準備しているよ」
「了解です。雷刃、片方、イケるよな?」
「ああ、任せろ」
 短めに答えて、左側を担ぐ。どうやらフェイトは歩けるらしい……けど、多分、精一杯なんだろう、息が荒い。
「二人とも、ありがと」
 耳元で言われて二の腕の裏がむずがゆくなった。
 とてつもなく暖かい声……思わず足を止めてしまう。
「どういたしまして」
 軽やかにセインが答える。
 なるほど、と想い、自分もまた、適当な調子で答える。
「どーいたしまして」
 フン、と最後に鼻がなったのは……そう、多分、恥ずかしいから。
 ……。
 くそっ、ボクはいったい、どうなっていくんだ……。

 ◇ ◇ ◇

「いやー、フェイトお嬢様、軽くて助かったわ」
 寝室へ運び終え、セインと雷刃は居間の床に置かれたビーズソファの上にそれぞれ雑に身を任せていた。
「ただの疲れならいいんだけどなァ」
「そう言えば、お前の方はどうだったんだ?」
「セ・イ・ン」
 わざとらしく不機嫌を演出して言ってみせる。
 雷刃は少しだけ唇をかんでから、改めて訊ねた。
「……セインは、どうだった?」
「見ての通りだ、治ったよ。まあ、本格的な治療を受けるまでは激しい動きは出来ないだろうけど……」
 そう言い、ふところから本を出す。ソフトカバーを開いてしおりの挟まれたページにたどり着くと、ゆったりとした動きで目を左右に滑らせる。
「お前の目なら速読とか、出来るんじゃないのか」
「……」
「セインの目なら、そういう無駄なことは必要ないだろ」
「ダメだって言われちゃってる」
 ペラリとめくり、顔をしかめる。
 雷刃が横から首を伸ばすと、セインは本を彼女の方へ寄せた。
「なんだ、この文字の密度」
「外界のを翻訳したやつだから」
「それ、理由になるのか?」
「知らね」
 そう言い、パタンと本を閉じる。
「んー、やっぱ本を読む気分じゃないねー」
「邪魔ならば別のところに行くが……」
「いや、そういうわけじゃなくて……いや、そういうことだな」
「ん?」
 雷刃は首を小さくかしげ、立ち上がったセインの顔を見た。
 妙に鋭い視線と、いやらしい微笑からなんとなくほどよい闇を感じ、ほっとする。
「飛び出すぞ」
 目を向けられ、ゾクリとしたのは悪寒というよりもきっと快感のせい。
 なんとなく、自分の口の端が持ち上がってる気がした。
「どこに?」
「さあね、オッカムの剃刀ってやつだ」
「なんだそれ」
 咬み合わない会話に訝しみつつも、それ以上にこみ上げる期待値。
 やがて腕をひかれた時、雷刃は躊躇せず従うことにした。
「フェイトさーん、アリオンさーん、ちょっと出かけてきまーす」
「ああ、くれぐれもディープダイバーは使わないように」
 低いながらも良く響く声を胸に、セインは「はーい♪」と軽快な声を残し、雷刃と共に玄関から外へ飛び出した。
 なにかフェイトが言っていたようだが、敢えて聞かなかったことにした。

 ◇ ◇ ◇

「アリオン、困ります。せめてあの子だけでも、雷刃だけでも止めてくれないと……」
 弱々しい声でフェイトが抗する。しかしアリオンは静かに笑うだけだ。何かを探すように、フェイトの立体映像をしげしげと眺めている。
「セインちゃんがいますから」
「けれども何かあったら……」
「信じてあげてください。彼女はどうすればいいか判る子ですよ。あの子達の中の誰よりも。妹分がいれば尚更です」
「だといいけど……」
「ほら、過保護グゼが加速していますよ」
 言われて仰向けのまま小さく溜息をつく。
 瞬間、眼の奥から脳天にかけて突き上げるような頭痛がフェイトの白い肌に痛々しい皺を刻んだ。
「私、いったい……こんなことになるなんて、考えられない……」
「それを今調べているところです。アバランチ、結果は?」
『過労と思われますが、マスター・アリオンはどう診ます?』
「雷刃ちゃんの爆誕が原因の方が分かりやすいんだけどね……」
 若干苛立ちを見せながら、アリオンは両腕を組んで考え込んだ。
「あの、アリオン……」
「フェイトさん、今日のところは眠ってください。なに、朝になれば事は進んでますよ、限りなくいい方向に」
 そう言い、パチリと指を鳴らす。するとスーツケースから暖色の光が伸び、フェイトの大きな目に優しく差し込んだ―――瞬間、フェイトの目がゆっくりと閉じられ、薄く開いた唇からは穏やかな寝息が奏でられ始めた。



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初版:2011/2/7
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