わからない。
 自分が何者なのかわからない。
 何も見えない真っ暗な世界に流されて。
 何も聞こえない真っ暗な箱に閉じ込められて。
 それでもなぜだろう。心地良さは、すごくあった。
 このまま意識が溶けるまで、ここにいてもいいのだろうか、と闇に問う。
 どこまでも深く、どこまでも広がる、闇に。
 答えは帰らない。当然か。闇は闇。何も無い、と同じことだ。
 そうだとわかっても、無駄だとは思いつつも、ボクはもう一度訊ねた。

……果たしてこのまま消え去っていいのだろうか。

 自然に生まれた言葉だった。それは壊れた呪文のようにボクの身体をなぞり、闇とボクに曖昧な境界線を引いていく。
 どうやらこのまま消えるわけにはいかないらしい。

……それならば、もう一度飛び立つ力が欲しい。

 暗闇に向けて叫ぶ。けれども答えは返らない。 
 代わりにその闇が裂けて、白い世界が広がった。

「見つけた! 力のマテリアル!」

 生まれかけたボクの境界線を何かが掴む。力強いそれは、ボクを光の方へ引き寄せた。
  白に、光に、飲み込まれていく。
 相反する色の境を通り抜けた時、中身がバラバラになる感覚で全てがいっぱいになった。

 ◇ ◇ ◇

 くんくん、と鼻の先をとろけそうな甘い匂いが漂う。
 そんな香りに気づいて、少女は大きな瞳を開けた。
 ほんの数回、瞬きをする。赤紫に満ちた瞳だった。
 なんだろう、と、起き上がる。
 赤い眼が映したのは、やわらかな布団と、ベッドの足と、自分の方へ前のめりになって俯く少女であった。
「キミは誰だ」
 低い声で紅眼の少女が訊ねる。俯いている少女は頭を上げ、その気怠そうな顔を見せた。
「セイン。ただの修道騎士見習い」
 じっと見つめながら、ゆっくりと答える。
 少女は思う。口の片端を上げたその顔は奇妙な卑しさに歪んでいる、と。
「修道、騎士……?」
 耳慣れない言葉を口にし、少女は歯がゆさを感じた。
「そう言うお前は自分が判るか?」
 と、セインと名乗る少女が右手で指を差して訊ねる。
 少女はその手が、肘まで包帯に包まれていることに気づいた。
「キミがボクを引き上げたのか」
 眉間に皺を寄せ、目を鋭くさせる。
 セインは意図を読み取り、笑みを含みながら、ため息をついた。
「してほしくなかったみたいじゃん」
「‥‥‥ああ」
 少女が小さく俯く。そして、自分の髪の色に気づく。
 目の前にいる修道騎士に近い、青い髪だと。
 違うのは長さだ。自分の方は俯いただけで分かるほど長さ。騎士の髪は肩にかかるぐらいの長さで、妙に小奇麗だった。
「あのまま溶けていたかった。あの心地良い闇の中で……」
 小雨のような声が降る。セインは立ち上がると、少女の傍らに立ち、頭に右の手を置いた。
「残念だけどさ、そう言うわけにも行かなくなったなんだよ」
 かがみ、少女の高さに視線を合わせる。
「溶けていた、いや、消えかけていた。なのに形が出来上がっていた。遅かれ早かれ、こっち側に弾き出されていた……でしょ? フェイトお嬢様」
「お嬢様はやめて、って言ってるでしょう、もう」
 聞き覚えのある声に、少女は目を丸くした。誰の声かと頭の中をまさぐるが、答えは出ない。
 代わりに声の主の姿を見る。まっすぐな不快感が眼の奥に落ちてきて、すぐに顔を元に戻した。
「でも外枠はホントそっくりだ、フェイトお嬢様の少女時代に」
 セインが興味の色を隠さずに言う。
 だが、言葉と声とは別の物のように、視線は少女の赤い瞳へ心配そうに注がれていた。それは少女に戸惑いを生み出した。
「……あまり見ないでくれ」
「つれないこと言うなよ」
 そう言うなり、セインは立ち上がってフェイトの方に体を向けた。
「魔力がかなり弱ってるけど、何か食べれば少しは持ち直すと思いますよ」
 ふわりと浮いた聖王教会謹製の保守的なスカートを手で抑えながら言う。
「よかった。シチュー、多めに作ったから……」
 顔を綻ばせ、天使のように明るく声を零す。
 その笑顔のまま、フェイトは少女に優しさを注いだ。
「もう少し休んでて。食事、用意するから」
 そう言い残し、少女の視界から静かに立ち去った。
「出張先で自分で作るなんて、フェイトお嬢様、よっぽどお前のこと気にかけてるんだな」
「余計なお世話だよ。だいたいボクは食べなくても平気だ、そこら辺から魔力を奪えば、それで済む」
「どうして?」
「どうして、ってそれはボクが……。……?」
 不意に言葉が詰まり、少女は再び戸惑った。
「なぜだ、どうしてこう、自分が曖昧なんだ……」
「あー……」
 零れた深刻な言葉。セインは思わず自分の頭を掻き、言葉に窮した。
「いったいボクはどうしたらいい、どうすれば……」
 少女の小さい手はやわらかい布団を握り締め、震えていた。
「んー」
 セインが視線を上に向けて唸る。
「あー」
 と、表情を明るくして、その手を上からぎゅっと握る。
 そしてぐいと引き寄せて、無理やりベッドから引きずり下ろした。
「うあ!なにするんだッ!」
 尻餅をつく前に立たせられ、少女は声を荒げる。
 その言葉に対し、セインは意地の悪そうな笑顔を向けて答える。
「わからないなら、これから探せばいいんじゃねーの?」
 小悪魔のような表情だというのに、不思議と輝きに満ちた声であった。
「でもその前に飯。もー、お腹ベッコベコ。フェイトお嬢様、もう準備OK?」
「うん。歩けそうにないならそっちに運ぶけど……」
「いい、いらない」
 生意気を気取り、口を尖らせる。その唇を、セインは親指と人差し指でぎゅっとつまんだ。
「むぎぅ!」
「力の弱いあたしだけど、弱ってる今のお前相手なら、このかわいいお口に無理やり熱いスープをねじ込んでやれないこともない。少なくともそんぐらいひどーいことは出来るよ、だってそういう育ち方してきたもん」
 目を細めずに笑みを含みながら言う。しかし少女は臆さず、セインの手を払いのける。
「なるほど、それがキミから感じた歪みの正体か」
 気取った様子で言い放つ。
「そんなキミには後で絶望をくれてやる」
 酷い低い声だった。フェイトによく似た声なのに、研ぎ澄まされたチタンのような鈍い輝きを放っていた。
「大歓迎。その感覚、まだ味わったことないんだよね」
「こいつ……!」
 奥歯をギリリと鳴らし、セインの胸ぐらを掴む。赤い瞳は怒りに満ちていた。
 そのまま立ち上がり、目の前の細身を持ち上げようと力む。が、景色が歪み、そのままセインの胸元へ飛び込むように倒れてしまう。
「くそ……なぜだ……うまく動けない……!」
 はあ、はあ、と息を荒げる。ふるえる体は声さえも揺らした。
「この感覚はよく知ってる」
 セインは記憶を頼りに、心身共に疲弊した少女の体を反射的に抱きしめた。
「やめろ、こんなぬるま湯、溶ける……!」
 戸惑いをそのまま口にし、少女はセインの腕の中でもがく。
 しかしセインは離さずに、甘い声で囁く。
「溶けちまえ。しっかり溶けて、練り直す。それが休むってことなんだから。嫌なら少し離れるけど?」
「……」
 欠けた部分に温もりが染み入る。
 少女は目を閉じ、自分を冒す未知の感覚に身を任せることにした。
「いいか、まどろんている間に何かしたら……ただじゃ……おかない……からな……」
「そんな脅し、やんちゃな妹で慣れっこだよ」
 力を失った少女に軽い調子で言うと、軽々と抱き上げてベッドに優しく置いた。
「ん……?」
 ふと、セインは白いスカーフが濡れていることに気づいた。
「……苦手だな、こういうの」
 眉間にしわを刻んで眠る青髪の少女を改めて見て、セインは小さくため息をついた。


二.

『なるほど、順調な滑り出しのようで何よりだ』
 中空に浮かぶ映像ウインドウから隻眼白髪の少女がほくそ笑んで頷く。
 幼い風貌でありながら、歴戦の戦色(いくさいろ)に満たされた表情は質量の高い貫禄があった。
 それに対して答えるセインは無責任をノートの端に書きなぐったような表情で答える。
「あれで順調だったら教会にゴールする頃には口喧嘩できて上等だって」
『仲の良さじゃない。あくまでプロセスとして、だ。見つけられただけでも上等だろう』
 セインの減らない口に、穏やかな微笑をもって、手慣れた様子で答える。
「えっ、じゃあそっち、まだ見つけられないの?」
『ああ』
「いっがーい、チンク姉がいるのに?」
『その言葉、そのまま返してやりたい気分だ』
「いやほら、こっちには何でも出来る執務官サマついてるから」
「はい、コーヒーだよ」
 と、フェイトが不意に声をかける。
「お、ありがとうございまーす」
 横から滑り出された白いカップを受け取り、セインはたっぷりと感謝を込めた顔で応える。
『……いろいろと気を使わせているようですまない、フェイト執務官』
「気にしないで。むしろ逆かも。セインのことだから、いろいろと面倒くさいって感じてるんじゃないかなーって思ってたけど……」
「冒険とか超好き」
 セインはニンマリとして言う。
「ほらね」
『あなたは相変わらず人が良すぎる』
 チンクは思わず苦笑した。
「そっちはどう? シグナムが面倒かけてない?」
『非常にスムーズに話を進められる。騎士カリムの人選は驚かされることばかりだ』
「だよね。私も正直、セインと一緒と聞いたときは驚いたけれど……」
「フェイトさん、優しいから好きー」
 いつの間にか空にしたマグカップを掲げ、セインは舌足らずな声をわざとらしくあげた。
「あはは、なんならもう一杯飲む?」
「今度はミルクベースでお願いします。お腹いたくなっちゃう」
『セイン、あまり調子に乗るな』
「じゃあ自分で淹れるもんね〜♪」
 そう言い、チンクとの通信をそのままに、セインはパタパタと足音を立てながら部屋を出ていった。
『それではこちらも……』
『チンク、切るなら替わらせてもらうぞ』
 低い声が威厳を放って割り込む。同時に桜色の長髪をしたやや大柄の女性が映しだされる。
「お疲れ様です、シグナム。今日は髪を下ろしているんですね」
 周囲に花が咲き乱れそうな眩しさで微笑む。
 しかしシグナムは眉ひとつ動かさず、生真面目に答えた。
『ああ、汗を流してきたところだ。最中に想ったことがあってな』
「なんでしょう?」
 フェイトは小さく首をかしげた。
『果たして我々が追いかけているのは、本当にあのプログラムの……いわゆるレガシーなのか、と言う疑問だ』
「騎士カリムとはやての見解ではまさに残滓ということですが……」
『だがあの時、確実に消滅させたはずだ。なのにどうして今、この時期になって……』
「それは私も思いました。けれども現実として、私達が確保した……子、は闇の書の闇と同じ波長で……そう、もう見つけてしまった以上、それを考えるのは後回しです」
 正論に、シグナムは一瞬だけ沈黙した。そして別の言葉を見つけ、返す。
『……もしこちらが見つけられなかったら、処分する前に会わせてほしい。主が駄目だと言っても……』
 徐々に声量が減るシグナム。語尾は霞み、顔もらしくないほどの暗さを持っていた。
『将、やはりあなたはお疲れのようだ』
 チンクが穏やかに割り込み制止を求めると、シグナムは穏やかに息をつく。
『すまない。テスタロッサ、落ち着いたら、まとまったら、また話そう』
「ええ……あ、ヒトコトだけ、いいですか?」
『ああ』
 シグナムの許可を得ると、フェイトはとびきりの微笑みを見せて、言葉を続けた。
「もう少しだけ、ほんの少しだけ、力を抜いていいと思います」
『……っ』
 言われてシグナムは、吐息のように笑った。
『そういう事は目の下のクマを薙いでから言え』
「で、ですよね」
 微笑を含んだまま言われ、ゴシゴシと目を擦る。その姿に、シグナムはチンクとともに、モニタの向こう側で顔を合わせて笑った。
『いずれにせよそそちらは手がかりを得たのだ。我々もこのままではいられん』
「あはは、多分、一足先に聖王教会で待ってます」
『ああ、無事にことが運ばれることを祈る』
「シグナムも、その、ご武運を」
『ああ、では』
「はい、では」
 落ち着きのある声同士、短い応答を経て通信が切られる。
 静かになったキッチンのある広い部屋で、フェイトは大きく息を吸った。
「報告書、今日は要点だけでいいかな」
 制服を緩めると、重く深い息が、執務官という肩書きと共に吐き出された。




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初版:2010/11/30
二版:2010/12/18

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