「なるほどなぁ、合宿で精神面を鍛えるかァ。うん、シグナムらしいと思うよ。2泊3日ちゅうんは少々厳しいけど」
「隊長たちの手に負えない任務とあらば即中断し、直行できるようにと考えてあります。それも訓練の1つとして・・・」
「その辺の理由はええよ。シグナムの考えていることは、よぉ〜う判っているから。なにせシグナムの主やもん」
「は、それでは・・・」
「ただ1つ気になるのは合宿場所が例の温泉の近くちゅーとこやな」
「判っていらっしゃるのでしょう、我が主なのですから。下調べも完璧です」
「わかったわかった、きっちりシゴいてきいや♪」
「ありがとうございます」

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 容赦のない日差しが本日の頂点から照りつける。その光を受ける森から現れた5つの人影は、それまで進めていた足を止めた。
 1人を除き、誰もが肩で息をしていた。それがかの機動六課が誇るストライカー候補生たちだと分かった時、知る者は目を疑うだろう。
 森を貫く獣道はおよそ5キロメートル。特に歩くに困難な道程でもない。一定の訓練を受けた者が疲労を覚えるには不十分だ。
 原因は、この中で唯一表情を崩していない桜色のポニーテールの女である。
 候補生たちよりも1つ高い視線を持つ彼女は、森に入る前に彼らを見下ろしながら言った。
「この山道を抜けるまで止まった場合、全員を殴って蹴る。これは命令ではない。ルールだ、いいな?」
 この言葉に一番に反応していたのは最も息を乱したツーテールの少女、ティアナである。彼女は自分の失言もあり、この鉄の女から頬に重たい一撃を頂戴していたのだ。手加減はした、と聞こえていたが、頬の腫れはなかなか引かず、口の中もやや切れ、しばらくの間、沈黙を余儀なくされた。何より周囲が敵に見えるほどの最悪な気持ちの中での一撃であった。軽いトラウマになるには十分な要素に満たされている。
 その気持ちを察して、相棒であるショートヘアの少女、スバルが囁く。
「大丈夫。もし立ち止まりそうになったら、あたしが引っ張るから」
「・・・その言葉、そっくり返してやるんだから」
 ブスッとした声でティアナは言い放った。
 そして、そのままの勢いでやや幼さの残る少年と少女へ瞳を向ける。
 エリオとキャロという初々しいカップルがそこにいた。
 2人は大人の余裕を持った顔でにこやかに微笑むと、「大丈夫です」と答えた。
 しかし語尾の緊張がスバルの耳をくすぐると、彼女はイヤホンのようにティアナの鼓膜に伝えた。
「ちょっとプレッシャー感じてるかも。あたしもだけど」
(だとしたら変に意識しない方がいいのかしらね)
 声に出さず思念で答え、靴紐を締め直す。
 スバルも同じように、靴に手をかけた。
(言われたとおりにするしかないよ。もう殴られたくないでしょ?)
(・・・行くわよ)
 答えを述べず、ティアナは立ち上がった。
「シグナム副隊長、スターズ04、準備と覚悟、出来ました」
「同じくスターズ03、準備OKです、とくに殴られる方の」
 それを聞いたシグナムは、微笑みを無表情の奥に隠し、2人に背を向けた。
「エリオ、キャロ。お前たちは無論、問題ないな?」
「はい!」
「はい・・・!」
 ― そのやりとりから始まり、今に至る。
 この戦士達の意外な疲労という奇妙な光景に、シグナムは心のうちで満足しながら眺めていた。
「間もなく宿につく。もっとも空家だがな。そこが合宿場所だ」
 その声に、4人4様の答えが返った。
 特に力が無かったのは、やはりティアナであった。

 ◇

 ◇

 ◇

 辿り着いた合宿所は酷く草臥れている2階建ての建物であった。
 一見して隊舎が小さくなったようなデザインである。入り口にはセキュリティがあり、システムは指紋認証式となっている。中に入れば吹き抜けのロビーがあり、すぐ左手には食堂が見えた。宿舎は2階となっており、通じる階段は右手にあった。
「なんでもリゾート用に民間企業が作った施設だそうだが」
 ロビーに全員が入るのを見てから、シグナムは言った。
「事件が重なり、ほとんど道路から寸断されてしまってな、運営が困難になったところを管理局が引き取ったそうだ。簡単な管理はされているようだが、さすがに清掃までされていない」
 と、不敵に笑みを浮かべた瞬間、スバルは思わず苦笑いをした。
「あのっ、シグナム副隊長・・・」
「なんだ」
 やや虚ろな声に対し、シグナムはいつもどおり、冷徹な声で返した。
「・・・まさかとは思うんですけど、ここを掃除しろ、と・・・?」
「そのまさかだ。1日目はここの掃除をしてもらう」
 不平を通り越して唖然とした雰囲気が、ロビーを包んだ。
「お前たちもデバイスや自分の部屋ぐらい掃除するだろう、それと同じことだ」
「あ、ああ、納得、です・・・」
 エリオが小さく呟いた。
 その言葉を傍で聞いていたキャロが何度も頷く。
「訓練のために来たんじゃ・・・ないんですか・・・?」
 ティアナが恐る恐る訊ねた。
 それに対し、シグナムはばっさりと斬り捨てた。
「訓練の一貫だ」
 一言に気圧されて、ティアナは思わず「はい」と答えた。
「私は食堂をやる。お前達は分担して残りを片付けろ。基本的に床だけで良い。終わり次第、各々部屋に入ると良い。部屋分けもお前たちで決めろ。ただしエリオは一応男子だ、謹んで1人部屋になるようにな」
「はい!」
 ビシっとスマートな敬礼をし、エリオは答えた。その隣ではキャロが唇を尖らせながら、シグナムとエリオをチラチラと見ていた。
「道具は階段の脇にある倉庫だ。それの使い方によってはすぐに終わる。では、始めるぞ」
「了解!」
 と、最も元気に返事をしたのは、スバルあった。

 ◇

 ◇

 ◇

 太陽が夕日に変わるころ、スバルは自分が担当した清掃場所を見て満足そうに笑みを浮かべた。
 そこには、自分たちが普段利用している隊舎を思わせるほど清潔になった床があった。
 箒で埃を掃き、濡れた雑巾で拭いてから乾いた雑巾で拭く。彼女は原始的ながらも確かな清掃方法で、その清潔さを生み出したのだ。
 また、掃除機の原理を用いた清掃用具があったが、スバルはそれをティアナ達に渡していた。そのどこまでも実直な性格は、ふれあった者を魅了するに違いない。
 スッと、食堂のドアが開き、シャープな顔が姿を見せた。
「お前のストレートさには呆れる」
 シグナムであった。
 ややニヒルな笑みでスバルを振り向かせると、視線で中に入るように促す。
「少々手を貸してもらいたい」
 言われて、「はい!」と生真面目に返事をし、ほとんど駆けつけるように食堂へ入る。
 大きめのカウンター式キッチンと10人はゆったりと入れそうなダイニングがあった。
 すでにシグナムはキッチンにいた。
「味をみてくれないか?」
 と、カウンターを通してスバルに声を掛け、深い黄色に満たされた小皿を手渡す。
 受け取ってから、スバルは小皿とシグナムの顔を交互に見て、思わず眼を丸くした。
「意外か? 昔、主に教わったものでな。斬る、焼く、煮る。それだけで作れるものだとそそのかされてな」
 スバルは立ち上るスパイスの香りに堪えきれず、シグナムの言葉と共にそれを飲み込んだ。
 熱ではない熱さが、受けた舌から口いっぱいに広がった。
 緩んだスバルの頬を見て、シグナムは笑みを強めた。
「カレーという料理だ。最も私は決して料理とは思っていないがな」
「ぜひ教えてください! これ作ってティアを驚かせたいです!」
「隊長たちの許可が下りればな」
 シグナムは彼女なりのジョークで、スバルの熱意を受け止めた。
「そろそろ他も片がつくだろう。ここに呼んで来い。その間に支度をしておく」
「了解!」
 嬉々とした返事を残して、スバルは食堂を去った。
 その余韻を感じながら、シグナムはふっくらと炊き上がった白米を皿に盛り、熱々のカレーを注いだ。
 いつしか主が自分たちに与えてくれた空間を、こうして与えられる立場にいる。
 システムに過ぎなかった自分に出来ることが増えている事実は、彼女の中に今さらながら驚きを与えていた。
「まさか私がこんな、な・・・」
 不意に香った手に残る玉ねぎの匂いが、滅多に出さない穏やかな微笑みを生んだ。
 その時間を掻き消すようにドヤドヤと4人の新人が到着した。決して悪い気はしなかった。
「お前たち、明日のためによく食べて休むといい」
 と、カレーライスを差し出したとき、スバル以外の3人はシグナムとそれを交互に見て、息を詰まらせた。
「食べても爆発しませんよね」
 いつしか読んだ本を思い出しながら、キャロは言葉を漏らしていた。

 ◇

 ◇

 ◇

 1ガロン近くあったカレーは1時間もしないうちに、残滓のみとなった。
 4人を部屋に送り出し、黙々と皿洗いをしながら、シグナムは食事の風景を思い出した。
 熱さと辛さにはふはふしながら少しずつ食べるキャロに、男のくせに4人の中で最も上品な食べ方をしていたエリオ。ちなみに彼の食べた食器にカレーの跡はほとんどついていなかった。
 ティアナはチラチラとシグナムの様子を伺いながら食べていたものの、最後には眉間の皺もゆるんで、束の間の休息を実感していた。
 スバルに至っては「美味い美味い」と感情をだだ漏れにして食していた。1ガロンのほとんどは彼女の胃に収まった。これはシグナムにとっても誤算であった。
「明日はサバイバルだな」
 最後にスプーンを纏めて洗い上げ、跳ねた水滴に濡れた制服を見て小さく息をつく。
 どことなく満足げであった。
― やはり主もこのような想いで、我らを包んでくれていたのだろうか。
 心地良い感覚に軽く酔いつつ、水を止める。
 そして食堂の奥へ置いていたバッグに歩み寄り、無駄な動き何一つなく中から衣類を数点取り出した。
 10年近く前から愛用している、八神はやてセレクトの普段着であった。
 襟が凛々しい白のシャツに、首周りに青紫のラインが入ったジップアップのフリースジャケット。さらにラズベリー色のタイトスカート。丁寧に畳まれたそれを、形を崩さずに脇に抱える。
 草臥れても解れても穴が空いても、シャマルの協力で魔法を用い、やや着古した状態を維持している。
 それだけではない。続けて人一人ぐらい大きい灰色のタオルに、白いフェイスタオルを2枚取り出し、同じく脇へ抱える。さらに植物性のシャンプーとリンス、ミルクベースの石鹸を乗せた黄色い桶を手にゆっくりと立ち上がった。
「明日のための下見と行くか」
 と、呟くと、手荷物に似合わぬ悠然とした歩行で食堂を後にし、さらに宿舎そのものを出てしまった。

 その後ろ姿を、スバルは偶然にも目撃していた。
「何処にいくんだろ」
 ふと芽生えた好奇心は、緩みきっていた気持ちに魔として刺さった。
 スバルは見つかることを前提に、こっそりと後をつけ始めた。

 ◇

 ◇

 ◇

 シグナムは宿舎を出て、来た道とは反対の右へ進んだ。
 昼間歩いた道よりも道らしい道であった。宿舎がリゾート用だった頃の名残、と言ったところか。
 そこから間もなくして川沿いに突き当たった。
 そこにはミッドチルダには珍しい木造の小屋と、隣接して川を作為的に岩で囲んでいる部分がある。そこからは穏やかな水蒸気が立ち上り、そこだけ水温が明らかに違うことを示していた。
 シグナムがその小屋に入るのを、スバルは距離をおいて見ていた。
 道から外れた茂みの中である。隊服とは違い、肌の露出が多めのTシャツにジーンズという私服ゆえ、妙に葉が突き刺さってきた。
 それでも視認出来るほど姿は見せていない。完全に隠れていた。
 果たして自分たちに内緒で何をするつもりなのか。
 好奇心が頂点に達した時、シグナムの視線がスバルを捉えた。
 ほんのわずか、一瞬というに相応しい刹那であった。
「ぁっ」
 もしかしたら偶然かもしれない。
 しかし、スバルはその一瞬だけで緊張が走った。
 ゆっくりと、足音どころか葉音を鳴らさないように後ずさる。
 その時、ヒヤリとした感触が足首を包んだ。
「!」
 声が出る前に口を塞がれ、そのまま深い森へ吸い込まれるように引きずられる。
 スバルは腕を伸ばし、シグナムの助けを求めた。
 しかしすでに距離は遠く、見えるのは月夜に薄っすらと光る草葉ばかりであった。
 それが黒に染まった時、スバルは初めて抵抗をすることができた。
 引きずられるまま腕を振り上げ、口元を殴りつける。
 多少視界が歪んだものの、口を包む異物は排除できた。
「えっ!?」
 と、叫ぶが早いか、引きずられる感覚はなくなり、代わりに岩がむき出しになった閉鎖空間を眼にした。
 うす暗い中を眼を凝らして見れば、洞窟の中に作られた部屋と言うべきか、少なくとも一般の人間が住むには決して適さない、しかし椅子やテーブルなど、明らかに人間の生活の匂いがする空間であった。
「ここは・・・」
 ゆっくりと立ち上がり、改めてあたりを見回す。
 わずかな光の正体は原始的な松明であった。
 ドアは2つあった。果たしてどちらが出口なのか。
 ひとまず正面に見えるドアに向かおうと足を進める。
 しかし、たった一歩でそれは断念された。
 片方の足が鎖に繋がれていたのだ。
 あんな短時間にどうやって、とスバルは思う。
 しかしその前に、背後から人の気配が、ドアの開く音よりも早くやってきた。
 香水らしき不自然な香りと共に。
「管理局の人間もずいぶんとぬるくなったものね・・・」
 妖美な女性の声が岩に響いた。
「だれ!?」
 鎖に繋がれた左足を軸に振り向き、シューティングアーツの基本形を構える。
 この場には似合わぬほど艶やかな服を纏った女性であった。
 それは地球で例えるならば日本で言うところの十二単。
 その色は青黒い紫で、夜の闇よりも禍々しい。
 真っ黒な髪はまっすぐに、背に沿うように流れていた。
「自己紹介の前に歌を少々・・・」
 と、上品に言いのける。スバルの威勢など気にも留めていない様子であった。
 間もなくして澄んだ高い声が岩づくりの隠れ家を振るわせる。
 それはメロディとなり、スバルの耳に流れ込んできた。
 慌てて耳を指先で塞ぐ。しかし完全に遮断できることは出来ず、肌から染み込むようにスバルの中へと響いていく。

 ゆうやみに おちるひとかげ まがつかみ
 いやおうなしに むねをくらいて

 不可思議な音色が鼓膜をくすぐる感覚に飲まれ、スバルは視界が霞むのを感じた。
 危機感が目覚め、負けてはいけない、と首から提げた蒼いペンダントを握り締める。
「マッハキャリバー・・・セット・・・アップ・・・!」
『Stand by』
 ペンダントが輝き、スバルの全身から光が放たれる。
 バリアジャケットが身を包み、右腕にリボルバーナックルと両足にマッハキャリバーが装備された。
 その変身は一瞬で完了したが、未だに足には鎖を掛けられたままである。
「・・・バインド・・・!?」
 と、思う間にも歌は続く。
 それは確実にスバルの耳を通して、胸の奥へ染み渡る。

 ゆうやみに おちるひとかげ まがつかみ
 いやおうなしに むねをくらいて

 音程こそ変わったが、詞は全く同じであった。
 ゆったりとした調子であるが、何かしらの魔力が含まれていることは間違いなかった。

 夕闇に 落ちる人影 禍津神
 否応無しに 胸を拓いて

 音が進むたびに体から力が抜けていく。
 繰り返される言葉がある種の催眠効果を生んでいるのだ。

 夕闇に 堕ちる火と陰 禍津神
 否応生しに 胸を啓いて

 三度目にして、スバルはついに跪いた。
 視線も焦点が合わず、口もぼんやりと開いて湿った息を漏らすだけであった。
「ふふっ」
 妖しき歌姫は妖艶な笑みを浮かべ、スバルを背中から包み込んだ。
「貴女の心は私の下僕」
 と唇を耳に触れさせながらふわりとささやき、リボルバーナックルに包まれた手を上から重ね、やさしく握り締める。
 鈍い紫の闇が鋼の腕を冒した。
「唱えなさい、カートリッジロード、と」
 不意に歌姫の声が氷結した。
 冷たい声がスバルの身を操る。
 スバルは跪いたままリボルバーナックルを持ち上げ、亡羊と唱えた。
「・・・カートリッジ・・・ロード・・・」
 ガシュン、と金属が技術と噛み合う音が鳴り響く。
 同時にスバルの全身を、紫色の闇が貫いた。
「はうっ・・・!」
 全身全霊の拳を練習用マットに叩き込んだ以上の、果てしない満足感が全身を包む。
 恍惚とした表情を浮かべながら、スバルはゆっくりと立ち上がった。
「もう一度・・・」
「ええ」
 甘い魔力を求め、スバルは再び唱えた。
「カートリッジロード・・・」
 と、今度は広がる魔力に全身を振るわせ、悦びを表現した。
 さらに遅れてやってきたのは身の変化であった。
 白いハチマキが緋色に染まり、バリアジャケットの白が赤く濁った紫へ変化した。
 露出している腹には梵字のような紋様が、従属の証のように赤く輝いていた。
 マッハキャリバーの中枢に当る青い宝石も赤黒く変色している。
 最も変化が著しいのは彼女の分身であるリボルバーナックルであった。
 指と指の隙間からまっすぐ伸びた円錐状の爪が3本生まれ、おまけに指先にも鎌のような刃が鋭い光を放っていた。
「ここまで容易く成功するとは思わなかったけれど」
 妖美たる歌姫は言葉とは裏腹に、嬉々として己の術の産物を見つめていた。
「あとは時間をかけてでも広げていくだけ」
 と、歌声と変わりない美声を響かせながら、その身で再びスバルを包み込んだ。
 内側に充満する鈍い暗黒に視界が支配されても、スバルはもはや抵抗をしなかった。
 むしろ受け入れるように力を抜き、やがて染み渡り始めた魔力に心身を任せた。

 ◇

 ◇

 ◇

 白い肌を湯に晒しながら、シグナムはひとときの安らぎを心の奥から感じていた。
「スバルめ、慌てて逃げ出したか」
 スバルが後をつけていたことは出た段階で気づいていた。
 感心こそできたものではないが、かといってそれを止める明確な理由も特にない。
 自分が楽しむために泳がせておいたのだ。
 最後に一瞥を向けてることで冷水を浴びせる、というサプライズを仕掛けるために。
 それがまんまと成功し、シグナムは心底ご満悦であった。
「次はテスタロッサにも仕掛けてくれようか」
 と、豊かな胸の下から引き締まった腹へ、斜めに刻まれた朱色の線を撫でる。
 10年前、現ライトニング分隊隊長、フェイト・テスタロッサにより与えられた傷であった。
 元の傷はとっくに癒えていた。しかしこの度の合宿で、かつての激戦と己の未熟を省みるために、記憶を頼りに敢えて魔力で再現した傷である。元々プログラムにしかすぎない彼女ではある。しかし、事あるごとに自分の中にある記録を見直し、今、どう感じるかを改めて記録させることで自身の内側を再構築し、より高めていった。
 それは人間で言うところの心の成長の一端であり、その能力は普通の人間よりも人間らしく、彼女の強みとして輝いている。
 時間を忘れるほど長く、湯と記憶に心を浸らせながら、やがて呟く。
「新人たちの弱み、どうやって自身に見せ付けてやろう」
 嬉しそうな声は、新人たちの過酷な明日を予感させるには十分すぎるほどサディスティックであった。
「併せてすべきこともせねば、な・・・」
 神妙に声を震わせながら、シグナムはゆっくりと立ち上がり、湯気を背に小屋へと向かった。

もどる/つづく
inserted by FC2 system