広い空の中を気の向くままに漂う。
 夢のような感覚にさらされながら、スバルは亡羊とした眼で空を見ていた。
 夜空であった。それはかつて見た星空によく似ていた。
「・・・もう少し、もう少しだから・・・」
 聞き覚えのある声が耳元で囁かれる。
 スバルはうっとりとしながら、その余韻を体にしみこませた。
「なのは・・・さん・・・」
 言葉が零れて星達を輝かせる。
 その輝きが、不意に姿を失った。
「えっ・・・」
「大丈夫」
 なのはの声が妖しく染み込む。
 その瞬間、スバルはハッとして拳を握り締めた。
「なのはさんじゃない」
「もはやあなたもね、スバル」
 届いた声が耳元で変化した。同時に、スバルの眼差しが空虚に支配される。
 そこから染み渡るように、声が続いた。
「あなたが見る夢はただの空じゃない。星さえ瞬かないとても深い夜空。それは私の意思。あなたの意思が私色に、もうじき全て染まる」
 言葉だけで包み込まれていく感覚に、スバルは意思に反して恍惚とした。
「そしてそれは広がっていく。あなたのお友達に伝わったように」
 再び声が変わった時、スバルは亡羊とした眼を丸くした。
「・・・ティア・・・?」
 その視界に映った親友の姿を見て、名を呟く。
 自分と同じように夜を漂うティアナは、間違いなくティアナであった。
 しかし服は、プライベートでさえ見たこともないコーディネートになっていた。
 体のラインがはっきりと分かるタイトで真っ黒な、ジップのないジャージのようなもの。その上に羽織られたジャケットは赤というには毒々しい紅に染め上げられている。ところどころに入った黒のラインが、その印象をよりいっそう強めていた。
「そろそろ起きて、スバル」
 優しい声だった。
 だが、スバルは首を小さく振った。
「まだだよ。まだ完全じゃない」
 その表情に拒絶の色はなかった。
 それどころか快活なスバルらしからぬ、いやらしい微笑みが浮かび上がっていた。

 ◇

 ◇

 ◇

 朝日を浴びて眼を覚ました直後、エリオは情けない、と自分自身に対して心底感じていた。
 副隊長の胸に飛び込んだ挙句、軽く熱を帯びて動けなくなるだなんて、と。
 彼はしばらくぼうっとしていた。その間にベッドへ運ばれて、気が付けば寝ていた。それもシグナムの部屋で。
「起きたか」
 凛々しい隊士の服をまとった後ろ姿から顔を半身にし、シグナムは訊ねた。
「シグナム副隊長・・・」
 と、エリオは一瞬だけ見蕩れた。
 同時に、クイ、とTシャツの裾を引く力を感じた。
「あっ・・・」
 キャロであった。
「感謝するんだな。お前の異変に気づいて飛んできたのだから」
「あ、ありがとう・・・」
 もぞもぞ、と声がこもる。
 その言葉に、キャロも真っ赤になった顔を俯かせる。
「初々しいことだな」
 と、2人に聞こえないように、シグナムは呟いた。
「それで、報告とはなんだ?」
 腕を組んでから振り返り、エリオを見下ろして訊ねる。
 女性とは思えないほど勇ましい素振りであった。
「は、はい!」
 エリオは緊張した様子で答えた。
「スバルさんがティアナさんを連れ出して・・・場所は掴んであります!」
「・・・そうか」
 冷静というよりは冷ややかな声で応える。
 同時にエリオはハッとした。
「・・・ボク、何時間ぐらい眠ってましたか・・・?」
「2時間ぐらいだよ」
 キャロが小さく答えた。
 途端にエリオが身を起こし、シグナムに言い放った。
「どうして起こしてくれなかったんですか!? 2人になにかあったら・・・!」
「お前はあのあと直ぐに、そして万全に動ける状態だったのか?」
「それは・・・!」
 シグナムの指摘に、エリオの声がこもった。
「寝起きと同時に全力疾走でマラソンするような真似をするからああなる」
「・・・・・・・す、すいません」
 言われている最中に、その最後にどうなったかを思い出し、エリオは顔を赤らめつつ俯いた。
「だが、今は万全だろう」
 不意に届いた優しい声は、エリオに再び勢いを与えた。
「はい!」
「では行くぞ。エリオ、案内は任せた」
 悠然とした声を鳴り響かせる。
 エリオとキャロはそれに強い視線をもって従った。
 シグナムはゆっくりと扉を開き、足音も立てずに表へと出た。
 エリオとキャロも互いに視線を交わしあい、一歩踏み出す。
 表情は深い緊張を帯びていた。
 これから始まるであろう激闘が生み出す死線を予感して。
 やがて宿舎から出た時、3人はシグナムを中心に、その服をバリアジャケットへ変化させた。
「行くぞ、レヴァンティン」
 巻き起こった炎を間近に受けた時、エリオとキャロは不思議と勇気が沸き起こるのを感じた。

 ◇

 ◇

 ◇

「もうすぐ・・・もうすぐなのね」
 薄暗くも妙に大きく拓けた洞窟の中、ティアナは真っ赤なバリアジャケットを正しつつ、目の前にある機械を見つめていた。
 外からは中身が確認できないカプセルである。隙間からは紫色の液体が滲み出し、そこから魔力が揮発していた。良く見れば墓石に近い意匠であった。
 液状化した魔力に浸らせる装置といったところか。中では空気も循環しているのか、定期的にゴプッ・・・と言う音が響く。
 さらに時折、妖しく輝き、その度に内側から熱っぽい声が曇って響く。
 内側で何が起きているのか、傍らで見るティアナにも分からない。
 だが、頭に届く声が経過を知らせる。
『あと少し』
 と。
 それはスバルの声であった。
 ティアナは胸を震わせつつ、その時を待ちわびる。
 そう、あと少し。
 あと少しでスバルが生まれ変わる。
 朽ち果てた肉体より抽出された遺志が彼女の意思を支配する。
 その時、自分とスバルが世界を導く道の始まりとなる。
 ティアナの胸に打ち込まれた遺志が彼女へ囁く。
『もう少し』
 その遺志の元はすでにいない。
 液化した魔力となり、スバルを支配している最中である。
 それはより確実な手段を求めた結果であった。
 本来ならば管理局のエース格、すなわちシグナムを手の内に納めることが目的であった。
 わざわざ気配を気取らせて、近くへおびき寄せた。
 だが、残念ながら失敗に終わった。強すぎる結界は特に予想外で、侵入は不可能。管理局のレベルなら、と侮った黒幕にとって大きな誤算であろう。
 ならば、と同胞を増やし、スバル自身を強化させ、シグナムを追い詰めるまで、と。
 しかし、敵は待たないだろう。まともにやりあったところで、既に身は使い古した仮初の肉体。ボロボロであるがゆえに勝ち目はない。
 だからこそ、この少女たちに遺志を託す、と言ったところか。
 それが外道のやることと知っているのか、或いは自ら信じる正義を貫くためか。
「・・・早すぎる」
 いずれにしても、その悪行が崩壊するのは時間の問題だろう。
 その閉ざされた岩宿の奥で、ティアナは炎の足音に気づいた。
「こんなところに潜んでいたとはな。だが、それも今日で終わりだ」
 凛然とした声が人工の洞窟に響き渡る。
 帯びた熱を感じ、ティアナは息を詰まらせた。
 触れてはいけないものに触れてしまった感覚。
 たとえて言うならば、それは熱く煮えたぎった地獄の釜。
 もしかしたら触れる前に、すでに火傷をしていたのかもしれない。
 だが、ティアナのうちに潜む闇の意思は別の動きを捉えていた。
 赤く染まったクロスミラージュの銃身より魔力の刃を突き出し、背後に突き立てる。
 その刃は本来のものより長く、古来の地球において用いられた日本刀のような反りもあった。
「あぐっ・・・!」
 切っ先に白いバリアジャケットを着た少年がいた。
 ティアナはニヤリと口を歪ませ、呟く。
「ダークリッジ・ロード」
 赤黒い魔力がクロスミラージュから刀身を通し、エリオへ向かう。
 その寸前で、エリオの姿が消えた。
 否、刀身からエリオが離れたのだ。
 正面からティアナに打ち込まれた蹴りがそうさせた。
「ぐっ!?」
 あまりにもの衝撃に、クロスミラージュが手から離れそうになる。
 蹴りを生んだ脚はエリオの身を支えるため、上半身に力を与えた。
「・・・・・・この程度も見抜けない、か」
 あどけない少年の風貌から、勇ましい声があがった。
「まさか・・・!」
 ティアナは改めてエリオを見た。
 そこにいたのはエリオではない。
 左手に魔剣を携えた大人の女性であった。
「外法を持って力を上げたようだが、どうやら私だけで十分すぎるようだな」
 そう語る間に、ティアナはクロスミラージュの片割れをシグナムへ向けた。
 両手でしっかり構えているはずなのに、銃身が小刻みに揺れる。
「どういうことなの!?」
 自分の意思に反する体に対して、ティアナは叱咤をした。
 胸の奥からこみ上げてくる恐怖であることを察したとき、不自然に笑いながらシグナムを見る。
「以前、私に何かしたのね」
「ああ、そう言えば軽く撫でてやったな」
 そういい、空いた右手をティアナに見せ付けるようにフラフラさせる。
「正気に戻すためならば、次は本気で殴る」
 と、グッと拳を握り締める。
 ティアナは今支配している意識に反して、「ヒッ」と声を漏らした。
 クロスミラージュのぶれもひどくなる。
 そして、シグナムが一歩近づいた瞬間、ティアナは引き金を引いた。
「来るなあああああ!!」
 ドン、ドン、ドン、ドン。
 刹那のうちに、魔弾が何発も発射される。
 何度も、何度も、何度も。
 それはティアナの意識にとって不本意なものであった。
 だがもう遅い。いっそ魔力が尽きるまで撃ちつくしてやろう、と思った。
 その次の瞬間であった。
 ティアナは現実をようやく見ることが出来た。
 向かっていたはずの魔弾が、シグナムの直前でいとも簡単に無力化されていた。
「なんだ、そのザマは」
 また一歩踏み出したとき、ティアナは情けなくもしりもちをついた。
 シグナムは胸倉を掴み、強引に、しかし軽々と持ち上げた。
「不可抗力とは言え敵の支配下に落ちた上に強化されたにもかかわらず、この様か。恥を知れ、ティアナ・ランスター」
「くっ・・・・・・・!」
 赤に染められた唇をかみ締め、紫色のメイクが施されたまぶたをひくつかせる。
「ふん!」
 血色のジャケットに包まれた腕が、真横から振り回された。
「!」
 魔銃の身が風を切り、烈火の将のコメカミを直撃した。
 ティアナはそのまま勢いに任せ、シグナムの額に魔銃の片割れを打ち込んだ。
「つぅ・・・!」
 数歩、シグナムはよろめき、あとずさった。
 だが腕は離れていない。
 シグナムはティアナを引き寄せ、思い切り額同士をぶつけた。
 鈍い音と共に、ティアナは仰向けに倒れた。
「いいラフファイトだが、クロスミラージュが歪むぞ、それでは」
 額から流れる血をそのままに、シグナムはティアナを見下ろした。
「いくらなんでも・・・やりすぎでは・・・」
「・・・ひどい・・・」
 白目を剥くティアナを見下ろしながら、小さな隊士たちはおびえていた。
「手加減はした」
 そう言い、シグナムはカートリッジを2本、それぞれに投げ渡した。
「これは?」
「それぞれクロスミラージュに仕込んでおけ。その上で私の戦いが見えるか見えないかぐらいの位置でティアナを介抱していろ」
「は、はい」
 流血に彩られた凛々しい表情に威圧されてエリオが答えた。
 キャロも無言で何度も頷き、エリオのサポートに徹することにした。
「さて」
 シグナムは奥に鎮座している機械の墓石に眼を向けた。
 改めてレヴァンティンを左手に提げ、悠然とした歩調でそちらへ近づいていく。
 1メートルをきったところで足を止めた。
「この中か」
 スバルの気配を感じ取り、シグナムは呟いた。
 そして機械の棺桶に一刀を浴びせるべく、腰を落として右手を魔剣の柄に添える。
 そのまま両手でゆっくりと持ち上げ、上段に構えた。
「フッ!」
 と、一息と共にレヴァンティンを振り落とした瞬間であった。
 突如、機械の棺から2本の腕が生まれた。
 1本は呪詛が書き込まれた姿で魔剣を抑え、もう1本の腕は機械に包まれた腕でシグナムの顔面を狙った。
 間一髪のところで、シグナムは魔法壁を生み出して顔への一撃を防いだ。
 だが、レヴァンティンは大きく弾かれた。
 腕からこそ離れなかったものの、生まれた隙は致命的であった。
「バカな・・・!」
 棺を突き破り、本体が姿を現す。
 同時に鋼を纏う右足が、シグナムの腹を鋭く押し込んだ。
「今度はあたしの番ですね、シグナム副隊長」
 スバルの声であった。
 彼女らしからぬねっとりとした声であった。その雰囲気は昨夜以上に異質だ。
 やがて見せた姿は、管理局機動六課としての彼女ではなかった。
 鋼の右腕を中心に侍のような甲冑を身に纏っている。
 さらに左側へ眼を移そうとすると、徐々に時代錯誤な意匠がすっきりとしたものへ姿を変わっていく。
 腕にいたってはノースリーブで、代わりに先ほどシグナムが視認した呪詛がビッシリと書き込まれていた。
 何より顔は口周り以外を覗き、半分が面で覆われていた。
 それはまるで鬼のように、しかし機械的な意匠であった。
「ぐぅう・・・!」
 腹部を押さえながら、シグナムは変わり果てたスバルの姿を見た。
 赤いハチマキが魔力で揺らめき、シグナムの眼を惑わせる。
 邪悪な姿を得たリボルバーナックルとマッハキャリバーが、それを加速させた。
 猛々しい8本の魔爪を得ていたリボルバーナックルは、さらに流線型の刃を円周に纏い、マッハキャリバーは赤く染まったコアを光らせながら、爪先からやや前方の上へ伸びた角に魔力の刃を帯びさせている。
 ギイイイン、とリボルバーナックルが唸りを上げた。
「離れれば届かない。かといって、クロスレンジでは副隊長の独壇場。ならば・・・」
 グン、とマッハキャリバーをしならせ、一気に加速させる。
 その間に、シグナムは立ち上がり、剣を構えていた。
 すでに足はどっしりと構えられており、半端な腕では崩せそうにない。
 スバルはその足に狙いを定め、リボルバーナックルを引き絞った。
 指先の爪が収納され、代わりに拳から3本の鋭い爪が伸びる。
 ガシュン、というリロード音とともに、鋼鉄の拳は放たれた。
 すでに距離はクロスよりも近いゼロである。本来ならば一発の殴打もかえって威力が減殺される距離だ。
 だが、スバルの腰はよくひねられていた。
 それが距離を生み、さらに腕自身の回転と、リボルバーナックル自身の威力が相まって、通常のクロスレンジと同じ威力を生み出していた。
 何より瞬速の一撃である。その先はシグナムの太腿だ。
 しかし、それをシグナムは敢えて崩すことで避けた。
 まさに一髪の回避はリボルバーナックルに備えられている刃すらも比例して回避し、無傷となった。
「チャンス!」
 それはシグナムに更なる隙を生む動きであった。
 体勢を立て直し、再び剣を構えるまでの数秒。今のスバルならばそれだけで十分に事が運べる。
 魔力に染まった紫色の唇が笑みを浮かべた瞬間、スバルの背中を衝撃が襲った。
「うあ!?」
 シグナムの一撃であった。
 両手を組んで振り下ろした一撃は、その真ん中に包み込まれたレヴァンティンの柄も合わせて十分な威力を誇っていた。
「テスタロッサほどではないな」
 相変わらず額から血を流しながら、シグナムは言い放った。
「正気に戻す前に答えてもらおう、何がどうなっているか」
 ひざまずいたスバルの目先に切っ先を向ける。
 だがスバルは怯まず、左手でレヴァンティンを握り締めた。
「すぐに分かりますよ」
 と、答えた瞬間、黒い呪詛が赤く輝き始めた。
 シグナムは即座に振り払い、後ろに飛んで大きく距離をとった。
「多少の怪我は覚悟してもらう」
「怪我だけじゃ済ませません」
 互いに構えながら言葉を交し合う。
 先に動いたのはシグナムだ。
 素早くレヴァンティンを振り回し、無数の魔力の刃を生み出した。
 ほぼ同時に、スバルはウイングロードを展開していた。
 それはスバルの周りを纏うように生まれ、さらに複雑な道を生み出す。
 スバルを狙う魔刃はウイングロードによって防がれた。
 直後、スバルは魔力で生まれた道に乗り、得意のアクロバット戦法に自らを持ち込んだ。
 道を走り、道を飛び、道を回る。
 四方八方に動くスバルの姿に翻弄されているのか、シグナムの視線はどこか定まらない。
「・・・出ていたか」
 と、額から流れる血を拭い、さらに眼をこする。どうやら視線の乱れはそのせいのようだ。
 それを隙と見て、スバルは背後天井より直線の飛び蹴りを放った。
― 仕置きの時間だ、レヴァンティン。
 と、心の中で呟く。
 それに呼応して、魔剣のコアが光った。
 すると剣であったはずのレヴァンティンが、1本の鎖で繋がれたまま姿を崩した。
 いわゆる連結刃・・・レヴァンティン、第二の姿である。
 スバルの接近を前にして、シグナムは軽く柄を振るった。
 すると連結刃は竜巻のようにシグナムを包み、さらに突き出されたスバルの足に絡まった。
「えっ・・・!?」
 予想だにしなかったレヴァンティンの変化に、強化されたはずのスバルも対応出来なかった。
「ふん!」
 シグナムは柄を振り回した。
 それに従い、連結刃も動きを変える。
「うあ!?」
 スバルの体が岩壁に叩きつけられた。
 衝撃でレヴァンティンの戒めが解かれる。
 その時、魔剣より伝わった違和感を、シグナムは捉えた。
「スバル・・・お前はやはり・・・!」
 妙に硬い衝撃であった。
 どこか余裕のあったシグナムの表情に険しさが宿る。
 そしてレヴァンティンを本来の姿に戻し、正眼に構えた。
「ならば多少の本気を出しても・・・壊れないな」
「・・・・・・本気でこないと、逆に捕まえちゃいますよ」
 微笑みを含んだ口は三日月を描き、彼女の中に宿る邪悪な意思をシグナムに突きつけた。
 鋼の鬼面がかすかに輝きを帯びた。

 ◇

 ◇

 ◇

 暗い闇の中でティアナはひたすら呆然としていた。
 この状態がもう何時間続いているか分からない。もしかしたら数日、数ヶ月かもしれない。
 ただ分かるのは、後ろから抱きしめてくれている相棒の暖かさだけ。
 その相棒が伝える。
 あたし達が世界を変える。
 あの人から受け継いだ力で。
 普段の彼女ならば「なにバカなこと言ってるのよ」と流したに違いない。
 或いは、引っ叩いてでも口を塞いでいたかもしれない。
 だが彼女は受け入れていた。
 まるで抵抗する力を失っているかのように。
(・・・なにも・・・考えられない・・・)
「うん、考えなくていいよ」
 相棒が呟く。
 すでに絡んだ腕と足が彼女に溶け込んでいた。
 それは第三者から見れば異様な光景である。
 しかし問題はない。
 なぜならここは彼女の意識の中だからだ。
「だから傍にいる2人を捕まえて」
 耳元と言うには近すぎる距離で呟かれる。
 ティアナは小さく頷き、ゆっくりと眼を閉じた。
 代わりに彼女の視界に、現実がゆっくりと広がった。

 ◇

「大丈夫ですか?」
 かすかに開いたティアナの眼を見て、エリオが静かに訊ねた。
 横にいるキャロも心配そうに彼女を見つめている。
 まだ開ききっていない瞼ながら状況を察し、ティアナは口を小さく開けた。
「だいじょうぶ・・・」
 と、ぼんやりとした声で答える。
 その唇がうっすらと笑みを浮かべた。
「良かった・・・」
「待って、エリオくん」
 安堵するエリオを戒めるように、キャロが声を上げた。
「ティアナさん、まだ正気じゃない!」
「遅い!」
 言うが早いか、ティアナはエリオのわき腹につま先をぶち当てた。
「うあああ・・・!」
 皮膚を通して、内臓が激しく揺れる。特に肝臓に与えられた衝撃は大きく、エリオを行動不能にするには十分すぎる一撃であった。
「フリード!」
 咄嗟に声を上げるキャロ。
 それに応じて、小さな白い龍がティアナの顔に張り付き、視界を奪う。
 だが、ティアナはすぐに引き剥がし、キャロに突進した。
「きゃあ!」
 すかさず胸に銃身を付きたてる。
 さらにもう片方をエリオに向け、魔力の刃を伸ばし、胸に突き当てる。
「うそ・・・!」
「あう・・・!?」
 自身の体の中に突きつけられた銃身と刀身、それぞれが沈み込んでいくのを目の当たりにし、2人は眼を白黒させた。
「捕まえた」
 ティアナは唇を鎌のように持ち上げ、狂気染みた笑みを浮かべた。
「少し我慢しなさい。楽にしてあげるから」
 そう言い、ゆっくりと引き金を引く。
「ダークリッジ・ロード」
 そう、呟いて。
 その瞬間である。
「きゃああああ!?」
 と、悲痛な声が上がった。
 それはティアナのものであった。
「・・・なにこれ・・・熱い・・・!?」
 その言葉からほんの一瞬の後である。わずかな時の中、強烈な炎が彼女を包み込んだ。
 それは彼女の意識を一気に奪い去った。どころか防護服すら焼き尽くし、共に散りさった。
「ティアナさん! ・・・あっ」
 遠目で見えた肌色に、エリオは首をそらした。
 代わりに自分のジャケットを投げ、上手い具合にティアナの上へかぶせる。
 バサリ、と地に落ちた音を聞き、改めてティアナに駆け寄った。
「ティアさん、しっかりしてください!」
 先に傍に着いたキャロが顔を覗き込む。今にも泣きそうな顔である。
「あ・・・」
 かすかに唇が動いた。
 健康的な薄桜色であった。
「大丈夫ですか? ティアさん・・・」
「・・・シグナム副隊長が・・・」
 少なくとも答えにならない言葉を、ティアナは発した。
 喉が枯れているのか、ようやく声となった、といった様子である。
「助けて・・・くれた・・・」
「えっ?」
 その言葉に、2人は顔を見合わせた。
 それはありえない、と。
 なぜならシグナムは未だに戦っているからだ。
 悪鬼と化したスバル・ナカジマと。
「ごめんなさい・・・私・・・」
「・・・・・・ティアさん、少し休んでください」
 額に手を当てながら、キャロは囁いた。
 エリオも安否を気遣うように手を握り締める。
「きっともうすぐ終わりますから」
 そう言ったエリオの眼には、不可視のバリアの向こう側で戦う副隊長と同僚の姿が映っていた。
 訓練では感じられない切迫感が、彼に緊張の生唾を飲ませた。

 ◇

 ◇

 ◇

 戦いはすでに熾烈を極めていた。
 ぶつかり合うレヴァンティンとリボルバーナックルが火花を散らし、時折飛ぶ魔法弾は各々の魔壁が完璧に防ぐ。
 スピードとパワーを兼ね備えたぶつかり合いである。
 段々と呼吸も合ってきたのか、どことなく音楽めいた響きさえ兼ね備えている。
 どちらが有利と言えばやはりシグナムだろう。
 広いとは言え閉鎖空間である岩窟だ。足場を生むウイングロードを生かしきれていない。
 だが辛うじて能力が上がったリボルバーナックルがクロスレンジにおける戦闘を互角としていた。
 何より彼女が扱うカートリッジは外法の産物。左腕に刻まれた呪詛も相まって、シグナムの決め手を次々と塞ぎ、それどころかパワーでも勝っている。
 彼女は気づいていない。
 もはや自分の体が自分の意思で戦っていないことを。
「楽しい、楽しいよ、シグナム副隊長!」
 クローと素手。交互に繰り出されるラッシュは的確にシグナムの死角を突く。
 それだけに、シグナムにとって今のスバルの動きを読みやすかった。
 この猛攻に耐え、強烈な一撃を浴びせる。
 シグナムは一途にその瞬間を待っていた。
 良く見ればスバルの動きは全てシグナムがコントロールしている。
 リボルバーナックルが襲い掛かる位置も、マッハキャリバーが攻撃に差し掛かる間合いも、スバル自身の回避のタイミングさえも、彼女の掌の上なのだ。
(だからと言ってスタミナ勝負では分が悪い)
 それはスバルの正体に気づいたからこそ出た結論であった。
 合宿の後もあることだし、いい加減に切り上げなければならない。
 その考えが隙を生んだ。
「もらったァ!」
 リボルバーナックルから突き出た3本の爪が、シグナムの胸を捉えた。
 手首から先は既に彼女の中へ沈み込み、指先はリンカーコアを捕らえている。
 さらに左腕が、シグナムの顔をきつく掴んだ。
「つかまえた♪」
 鬼の鉄面が輝き、呪詛のリボルバーナックルが妖しく光る。
 スバルの唇も勝利を確信し、狂喜に歪んだ。
「それはこちらの台詞だ」
「!」
 言われてスバルは視線を乱した。
 不意に全身が熱に覆われた感覚を覚えたのだ。
 その正体は連結刃と化したレヴァンティンであった。スバルの全身に連結刃が絡んでいたのだ。
「試すか? 私の秘めた炎が強いか、お前に宿った闇が強いか」
「や、やらせない・・・!」
 鋭く輝く眼でシグナムを睨む。もはや眼も魔力に毒され、紫を帯びていた。
「ダークリッジ・・・!」
 力強く、光を闇へ堕とすスペルを唱える。
 間髪入れず、シグナムが叫んだ。
「レヴァンティン、カートリッジ!」
 そして最後の言葉が、互いの肉迫を超えて重なった。
「「ロォオオオドッ!!」」
 デバイスの中で衝突した魔力が爆発を生んだのは、それから間もなくのことであった。

 ◇

 ◇

 ◇

「シグナム副隊長ー!!」
 ティアナが叫んだのは、爆炎が巻き起こる直前であった。
 その数瞬後、キャロが構築した結界が爆風により安定さを失いかけた。
 キャロ自身にも衝撃が伝わり、今にも倒れそうになる。
「!」
 エリオは無言で、しかし颯爽と彼女を支えた。
 巻き起こった爆煙はしばらく視界を不良にさせた。
 やがて煙が晴れた時、3人の顔にも曇りが取れた。
 倒れたスバルを抱きかかえるシグナムと、その微笑みがそうさせた。

 ◇

「レヴァンティン・・・よくぞ自分を貫いた・・・」
『Dies ist von vornherein feststehendes ergebnis(当然の結果です)』
「・・・ならそういうことにしておいてやる、私の魔剣よ」

 ◇

 ◇

 ◇

 熱い。
 全身が焼き尽くされそうなほど熱い。
 なのにスバルはその感覚を心地よく感じていた。
 まるで体の内側から燃え上がる感覚。
 熱ではない熱の正体を、スバルは良く知っていた。
 たとえて言うならば、騎士。
 それもきわめて誇り高い騎士。
 にもかかわらず、傍にいる。
 誰にも気づかれない距離で、傍にいる。
 それはベルカの騎士、烈火の将。
「・・・シグナム・・・副隊長・・・」
「そろそろ眼を覚ませ、スバル」
 普段の冷徹な素振りから窺い知ることの出来ないやさしい声。
 それはスバルの全身を包み、本当の目覚めへと導いた。

 ◇

 ◇

 ◇

「スバル、起きなさいってば、スバル」
 けたたましくも聞きなれた声に刺激され、スバルはゆっくりと上体を起こした。
「うーん、あと5分ちょい・・・」
 と、言うなり、再び仰向けに倒れる。
 声の主は大きく息をつくと、ぐいっと胸倉を掴み、そのまま無理やり体を起こした。
「24時間じゃ寝たりないっての?」
「えっ?」
 言われてスバルはきょとんとした。
 そして寝ぼけた頭を振り払い、状況を確認する。
 ここは自分の部屋ではない特別宿舎の一室。
 そこで自分は24時間寝ていた。
 では、24時間前に自分は何をしていたのか。
 答えは頭の中ですぐによみがえった。
「なにしでかしたか思い出したみたいね・・・やっぱ操られてたとは言え、って感覚?」
 青ざめていくスバルの顔を見て、声の主・・・ティアナは暖かく声を掛けた。
「・・・夢じゃなかったんだ、ね・・・」
「うん。・・・でも、副隊長、許してくれてる。むしろいい経験になったろって、言ってくれた」
 どことなく清々しく、ティアナは語った。
「あの副隊長が・・・」
 スバルは思わず苦笑した。
 普段とのギャップ・・・というより、ティアナを初めて殴った瞬間のことを思い出したのだろう。
「その副隊長が、合宿のシメにみんなで温泉行くって。行くでしょ?」
「う、うん」
 温泉ってなんだろう、と思いつつ答える。
 その直後であった。
 不躾にドアが開き、桜色の長い髪をした女性が姿を現した。
「お前達、遅いぞ」
 と、冷静に言い放つ。その素振りは間違いなくシグナムであった。
 彼女の額には長くて白いハチマキが巻かれていた。
 スバルはその違和感に質問をぶつけた。
「し、シグナム副隊長!? そのハチマキは・・・」
「これか。・・・ティアナにやられた傷が、な」
 チラリ、と意地の悪そうな眼でティアナを見やる。
 ティアナは両手を上げ、片方の指をシグナムへ向けた。
「ちょ、ちょっと副隊長! あれは自分から頭突きしたんじゃないですか!」
「キッカケを作ったのはお前だろう、操られていたとは言え。あの傷だけは未だに癒えぬ」
「・・・それは本当にすいませんでした」
 途中で嬉々を含んでいることに気づき、ティアナは言葉を受け流した。
 それに気づいたシグナムは、改めて指示を飛ばした。
「さっさと行け。下で二人が待っているぞ。スバル、お前もさっさと準備をしろ」
 寝起きのスバルを察してか、シグナムは言葉を換えて準備を促した。
「そ、その前に・・・シグナム副隊長・・・」
 おびえ気味に、スバルは訊ねた。
「・・・・・・なんだ」
 相変わらず冷たい声で、シグナムは応える。
 それを聞き、スバルは大きく頭を下げた。
「本当にありがとうございました・・・」
「・・・・・・・・・」
 深い沈黙が、2人の間に生まれた。
 シグナムは無言のまま長い髪とハチマキを翻し、背を向けた。
「気にするな。その想いごと洗い流せ。温泉とはそういうものだ」
 暖かく、柔らかな口調だった。
 その裏に微笑みを見つけたスバルは、威勢のいい返事と笑顔で応えた。

 ◇

 ◇

 ◇

「・・・・・・・と、紆余曲折ありましたが、合宿は実りあるものとして終了しました」
「上々や、さすがシグナムや。まあ、新人らにちょっと被害が及んだって話にはビックリしたけど、ホントええ経験になったろうなぁ。ティアナもシグナムをかばうようなこと言うてたし・・・」
「ご理解頂けて幸いです」
「そりゃ理解するて。シグナムの考えていることは、よぉ〜う判っているから。なにせシグナムの主やもん」
「・・・ありがとうございます。それでは、私はこれで・・・」
「なあ、シグナム」
「はっ、なんでしょう」
「今度はみんなで、その温泉、行こな」
「・・・・・・かしこまりました」

  

SS目次へ/戻る/あとがきへ
inserted by FC2 system