暗闇の中、目蓋を閉じているのか、開いているのか、それとも閉められているのか、開けさせられているのか。
 いずれにしてもシグナムの瞳は、彼女がどう足掻こうと闇を映していた。
「私は、どこにいた」
 例えて言うならば出先の仮眠から覚めたような、現実に放り出されたような感覚。
 やがて目の前に光の線が無数に現れた。
 よくみれば、ミッドチルダにとっては数世代前の、彼女がかつてすんでいた地球では当たり前のものだった。
 両端に角の緩い小さな四角が並び、その間に大きな四角が移す無数の写真。
 それが走ることで映像になる、とシグナムは知っていた。目を細くし、じっと見る。
 そして、それらが己の記憶であることに気づいた。
 八神はやての下に身が転じたあの日から……だけではない、シグナム自身も覚えはない、記憶。
 それらは古びたものから錆び、粉々になっていった。
 一本、二本と続くたび、それが何を意味しているのか、想像する。
 やがて一つに手を伸ばし、シグナムは叫んだ。
「だがせめて、これだけは!」
 まだ錆に犯されていないフィルムを握り締める。やがてシグナムの手の中で、炎が生まれた。しわくちゃになったプラスチック染みた線は激しい炎と共に溶けた。
 燃え上がるフィルムのキチキチとした音の影で、シグナムは歌を聞いた。
 いつか聞いた、とても純で時に力強い歌声とは違う、感情のない病んだ声。
 それはシグナムの鼓膜に焼きつき、捕らえ、ゆるやかな眠りへいざなった。

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 安穏も苦しさもない、無に良く似た表情。
 シグナムはその顔で、身は鉄の紐で包まれ、中に浮かされていた。
 位置は……セレナが自身のデバイスで示したビルの三階。戒めに包まれた身は壁の端にレリーフのように押し付けられた。
 正面には水色の髪をした少女がいた。シグナムをここへ運んだ少女に良く似ていた。
「ん」
 手のひらを見やると、水色の髪の少女はにやりと笑い、人差し指をピンと立てた。
 その先にあるレンズのような代物が赤く光った。その瞬間、そこからやさしげな音色が生まれた。
 少し経ってから、その手に柄が生まれた。柄だけではない。重々しい刃も、そこから伸びた。
「消すべきか、取り込むべきか」
 あどけなさが残る少女の見目に似合わぬ重々しい声。それに呼応するように、鉄くずが紐となって彼女の体に押し寄せた。

 ◇

 ◇

 ◇

 その様子を、錆びくさい天井裏で見ていたノアは、思わず目をこすった。
「レヴァがどうして、あの子の手に……!?」
 思わず声が出る。それが想像以上に大きかった、と感じたのだろう。
 ノアは口を抑え、足の方へ身を体一つ分ずらした。
(セレナに状況伝えたいけど……)
 と、心の中でつぶやき、念話を走らせる。
 しかし、それがビルの外壁に遮断されるのを感じ、すぐさま別の手段を試すことにした。
(バーゼラルド、アンタに搭載した通信方式、壁を通るか試して!)
(お言葉ですがお嬢様、下位の敵に発見される恐れがあります)
 老紳士的な日本語で返答する。しかし、ノアは答えた。
(そんぐらいのリスクで済むなら安いもんよ、やって!)
(かしこまりました)
 と、答えて五秒後、返信が届く。
(熱力学式のみ通過しました。時点は電波式ですが、不思議なことに特殊な音波で歪みます)
(音波?)
(ええ、音波です。よく出来た音波でございます。作用するのは生物以外。波長によってはデバイスのみの破壊から、先ほどお嬢様がご覧になられた鉄くずの操作まで可能のようですね)
(さっすがあたしの執事さん)
 ノアはにやりと笑い、身を足の方へゆっくり滑らせた。
 さながら匍匐(ほふく)の後進で移動をしながら、バーゼラルドの柄の底を手のひらに押し当てる。
(通信方式は熱力学。アクセス先はセレナのデバイス)
(ミカヅチでございますね、かしこまりました)
 命に答えると、バーゼラルドは数秒で結果を伝えた。
(開通しました。この方式は常時接続には不向きです、手短にお願いします)
(わかってるっての)
 ノアは小さく笑みを浮かべ、短い刃に唇を近づけた。

 ◇

 ◇

 ◇

 一方、外でオペレータをしているセレナはスバルと念話で通信をしていた。
「いい? スバルちゃん、この外壁を包んでる魔力みたいなものは波があるの。弱くなったところで、スバルちゃんの振動拳で掻き乱せば……」
 目の前に散らかった中空ウインドウを眺めながら、右下に小さく固定されたスバルに語りかける。
『突破して中に入れるってことですね』
 明るい声でスバルが答える。
 セレナも理解の早さに感心し、深く頷いた。
「そういうこと。空いた後の中の様子は勝手にモニタリングするから、ノアと合流して、あとは好き勝手にやっちゃって。責任は……取りきれるとこまで、私が取るから」
『そう言ってくれるだけでも、その、ありがとうございます!』
 戸惑いながら答え、礼を叫ぶ。セレナも青臭さに照れながら、視線を逸らして答えた。
「どういたしまして。じゃあ、もう少しそこで待機、お願い」
 まくしたて、小さく息をつく。ため息というには暖かで、作戦の最中に乱れたリズムを取るような息遣いだった。
 そこに、また乱れさせるような通信が、手元の通信機に届く。
『セレナ、あたしあたし』
 音声だけの通信であった。
「その声はノア? 交通事故にでもあったの?」
 茶化した様子でセレナは答えた。
『交通事故ではないけれど、怪我じゃすまないかも。そんなことより端的に伝えるわね、熱通信だし』
 普段のおちゃらけた様子とは違う、ビっと、背筋の伸びたような声で、ノアは言った。
『あたしらを閉じ込めたやつは、音波を使う不思議ちゃん。捕まえた相手の能力を自分のものにしちゃうユニット付。目的とか不明だけど、多分、目標のロストロギア、かも』
「他に情報は?」
 極めて冷静に、セレナは訊ねた。
『シグナム姐さんが捕まってる。なんかもう、右も左もわからないって顔してる』
「ならば」
 更に声が冷たくなる。
「あなた自身が『捕まえた相手の能力を自分のものにしちゃうユニット』を通じて操作されていない保障は?」
 鋭い視線と指摘であった。
 しかし、ノアは躊躇なく、それに答えた。
『バーゼラルドが熱学方式を導き出して通信を可能にしたわ、彼からの強制遮断もされてないのはセレナ側のログを見ればわかるはずよ』
 ひどく面倒くさそうな声であった。しかし、確実な確認方法でもあった。
 バーゼラルドの動作はデバイス側の権限が強く、うっかりしたミスやセレナの懸念している魔術による遠隔操作などを防ぐような仕掛けになっている。
 これは本局の技術の賜物で、個々の性格に合わせて仕込まれる仕組みでもある。確実な運用のため、細かいカスタマイズをすることで自責ミスのコントロールをするわけだ。
「だと思って確認済み」
 セレナは薄く笑い、小悪魔というには少々しつこい声で言った。
『い、意地悪』
「用心深いだけ」
 今度はクスクスと笑う。
 そして、指示を出す。
「ノア、屋上に向かって。間もなくスバルちゃんが突入するから、エンゲージよろしく」
『Got it!』
 その一言を最後に、通信は突然途切れた。
「強制遮断? 熱に大きな動きでもあったかしら……」
 と、周囲の気温を解析する。異変はすぐに見つかった。
「三階に、シグナム隊長と同じ熱質……」
 顎に指を乗せて、ビルの図に視線を走らせる。
 その目が見開かれたのは、一瞬の後であった。
「ノアのリンカーコアが……壊れた……!?」

 ◇

 ◇

 ◇

「バーゼラルド、あんたの忠告通りだわ……」
 小刻みに震える声が、天井裏に響く。
 悔しさ……、否。
 嘆き……、否。
 もっと単純な、嘲笑による震えだ。
 その笑いは、自分に対する嘲りであった。
 視線を、肩にある嘲りの源に移す。
 それはかつて何人もの局員を獲物とした炎の魔剣、レヴァンティンであった。
「あたしも兄さんと同じ墜ち方、すんのかな……やられる得物まで、おんなじで……」
 血の滴りとともに零れた言葉は弱く響く。
 顔が俯き、涙が一粒だけ、落ちた。
 熱を帯びたそれが天井を上から濡らした時、ノアはとうとう踏ん張る力すら失った。
「バーゼラルド、せめて一矢報いるわよ」
『かしこまりました、お嬢様』
 力のない、けれども熱を帯びた命令に、小剣は応えた。
 一際、大きな光を放ったと同時に、ノアは愛剣を突き刺した。
 自らを貫く、炎の魔剣へ。
 それは一瞬の金属音ののち、ズブズブとレヴァンティンに溶け込んでいった。

 ◇

 ◇

 ◇

 ほんの少し。
 ノアのリンカーコアの反応が消えてほんの少しだけ、セレナは目をつぶっていた。
 その刹那のうちに生まれた気持ちは悲しみから嘆きと様々であった。
 だが、それらを気丈にもほんの少しで飲み込み、強い視線を作って目を開く。
 穏やかな人柄など、もうそこにはない。ただ目の前の任務に打ち込む一人の隊員だ。
「スバルちゃん、お待たせ。そして先にゴメンね。お姉さん、普通じゃいられないかも」
 一言ことわり、そして、妙に眩しい笑顔を見せる。
「プランも変更。ノアとの合流はナシ。思いっきり暴れて。ビルも壊す勢いで」
『……えっ、それってどういう意味……』
 人差し指を一本、唇に当て、沈黙を促す。
 そして、あの上品な声で、語る。
「スバルちゃん、ノアってホントどうしようもない子なんだ。人をだますし、おちょくるし、何より、バカだし」
 だけど、けれど。
「それも全部、最後にはみんなの笑顔に繋がってた。笑顔の作り方って、一つじゃないんだって、気づかせてくれたのは……!」
 いつの間にか、涙が流れていた。
 声も震えないくらい、悲しみを表に出さなかったはずなのに、涙だけは正直だった。
『セレナさん!』
 スバルはまっすぐに叫んだ。
『その気持ち。あたしに預けてください!』
 シンプルな一言に、セレナは青い春を感じた。
 そして深く頷き、同時に涙を零した。
 それを最後に、涙が落ちることはなかった。
「思いっきりやって。カウント、いくよ……」
 その言葉は風のごとく澄んだ声でスバルの元へ届けられた。
 同時に、なんとなく、感じる。
― 本当に切れかけてたのは、私のほうだ。


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