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 セレナのカウントが始まるのを聞き、スバルは大きく息を吸い込んだ。
 力まない自然な呼吸は、彼女の体から全ての灰汁を抜き去った。
 かわりに、暖かい力が流れ込んでいく。
 表情は……笑顔だ。ひどく悲しい笑顔だ。
「ちょっと、重いかな……」
 7から5に下がる間に、スバルはつぶやいた。
 そして、4の瞬間、口が真一文字になる。
 3……2……1と下がる度に、ふと感じる。
― この気持ち、どうやったら、あの人に殴られずに解決できるのだろう。
 その気持ちこそが、自分を乱している、と。
 スバルは首を振り、ゼロと共に結論を出した。
 殴られたら、答えを聞けばいいんだ。
 今度はきっと、時間がある。
 ううん。
 いつだって、いつの日か、聞けばいい。
 けれど、それは、今日のこの、バカげた一夜が終わってからがいい。
 だから一刻も早く……
「終わらせる……!」
 やがて、重く眩しい一撃が放たれた。
 魔力の塊を載せた、激しい振動を得た拳が。
 それがその日、スバルがそれを意識して放ったものか、定かではない。
 いずれにせよ、突破口は開いた。
 文字通り開いた大きな穴に、スバルは飛びこんだ。
 天井の高く、柱しかない広いだけのフロアが、彼女の視界に映った。
「突入しました、セレナさん!」
『長く無事でいて、救援、呼んだから』
 熱のあるスバルをほどよく冷ますように、セレナが言う。
 スバルは猛る声で言った。
「死ぬつもりなんて、微塵もありません!」
『死なないことだけが、無事じゃないのっ!』
 やさしく暖かい叱咤がスバルにほのかな冷や水を浴びせた。
『今回の、私達の任務は現場の確保なのよ。ロストロギアの確保じゃない、即ち、ロストロギアをこの場から逃さなければ勝ちなの』
「じゃあ、ロストロギアは……」
『私に任せ―』
 ががが、とノイズが入り、通信が切れる。
 同時に、淡い雪色の結界が、ビルを包み込むのを感じた。
 それは強固で、だというのに魔力を感じさせない仕上がりだ。
 いわゆる音波を基にした魔力とは違う力。
 通信の遮断から、それに閉じ込められたと認識し、スバルは視線を張り巡らせた。
「くっ、どうしたら……!」
 口にするあせり。
 しかし、頭脳は彼女なりにフル回転していた。
 今までの情報を思い出す。
 三階にシグナム副隊長がいるなら、まずは合流が先決か、それとも……。
「そうだ、ノアさんの安否を……!」
 見えない不安の種を一つ見つけ、スバルは走った。
 しかし、階段はなく、降りるに降りれない。
 そもそもノアはどこにいるのか、その情報すらない。
 この状況がいわゆる八方塞がりであることに気づき、スバルはもう一度息を大きく吸った。
「端から端まで調べれば、きっと」
「その必要はない」
 聞き覚えのある、声がした。
 スバルの背筋に冷水と安堵が同時に走った。
「シグナム副隊長!」
 背後から聞こえた声に顔を向け、スバルは叫んだ。
 同時にぞっとした。
 ゆっくりと、床から生えるように、シグナムが現れたのだ。
 その腕には、ぐったりとしたノアが抱えられていた。
「ノアさん……」
「命はあるようだが意識がない」
「いったい誰が、こんなことを」
「私だ」
 断ち切るように、シグナムは言った。
「シグナム副隊長が、なんで!?」
「ロストロギアらしきものの一部が、私を取り込んだ。私だけではない、いろんなものを、取り込んでいる。恐らく、私がこうして抑えられているのも、あとわずかだ」
 言いながら、シグナムはノアの体を壁際にそっと置いた。やさしく仰向けにさせると、小さな機械を握らせる。それは真っ白な結界を展開し、ノックをしてきたシグナムに強固な音を鳴らさせた。
「そもそもコイツがロストロギアなのか、それとも単なる特異な魔法生物なのか、取り込まれた身になっても分からない。もはや境界線がないのだ、中核をなしていたはずのものが、な」
 そう言い、レヴァンティンを抜きながら、振り返る。
「あたしは、どうしたら……」
「……私と戦え。あとはお前で、考えろ」
「戦えって、いきなりそんな!」
 叫ぶや否や、シグナムは直線で斬りかかってきた。
 あまりにもの速度に、拳の動きは奪われていた。
 反射的に身を捩じらせ、一髪の差で刃を避ける。
 すれ違い、振り返った。そこにシグナムはいない。
 いや、容姿は確かにシグナムだ。決定的に違うのが、彼女の色だ。
 しかし、髪の色は海の水のように青く、騎士甲冑の薄紅色もその色へ、インナーも藍色へと染まっていた。
 何より目の色は黒となり、中心に赤を湛えている。
「聞け、スバル!……私は言葉で説明するのが今ひとつ不得手だ。だから貴様に叩き込む!」
「けれど、あたしは……あたしは……」
 言葉に詰まる。
 それを貫くように、シグナムは叫んだ。
「何も言うな! あの時、私に叫んだあの気持ちで、まずぶつけろ! 全てはそれからだ! あの時、お前が私に抱き、今もくすぶる想いの答えもきっと、私が言葉に出来ない答えすら、きっとそこにある!」
「……」
 沈黙するスバル。
 肩を震わせ、床に拳を打ち付けて、叫ぶ。
「シグナム副隊長!」
 それはまるで、あの一夜のような声であった。
「いきます! あたしの、全力全開で!」
 廃ビルの最上階で咆哮が一つ、生まれた。
 小さな少女の、力強い叫びであった。
 しかし決して感情だけではない、獣のそれとは明らかに違う、誇り高き咆哮であった。
 それに呼応するように、炎が生まれた。
 青く気高い炎であった。
 それはシグナムの全身を包み、彼女に魔力とは違う力を与えた。
「うおおおおあああああ!」
 禍々しい炎を打ち払うように、鋼鉄の拳でシグナムに向かう。
 彼女らしい直線であった。
 しかし、シグナムそれを真横からの一撃で振り払った。
 スバルの身が反転する。
 その勢いを利用し、車輪のついた足を脇腹めがけて突進させる。
 十分に軸足のバネをこめた、重い蹴りのはずだった。
 だが、それはかえってスバルに激痛を生んだ。
「それではまだまだ面だ」
 そう言うシグナムの左手には、レヴァンティンの鞘があった。
 鞘の先は既にスバルの脛を捉え、一瞬の痛みで緩んだ力の隙をつき、彼女のバランスさえも崩した。
「はあ!」
 ゼロとなった距離、剣を振るうには足りないレンジの中、シグナムは更に攻めた。
 柄を握り締めた拳で、スバルの脇腹を殴りつけたのだ。
 その一撃は二人を左右に離れさせた。
「まだ、まだぁ!」
 叫んだ直後だ。
 スバルは自分の目を疑った。
 正面に離れていったはずのシグナムの姿がないのだ。
 構え、背後を見る。
 しかしいない。
 その直後である。
 スバルの足首を、五本の指が捉えた。
「なっ!?」
 慌てて外しにかかる。
 だが、その引きの力を利用され、押し上げられる。
 無様に倒れると同時に、蒼きシグナムが床から姿を現した。
 切っ先を向けているというのに、殺気のない穏やかな笑みをしていた。
 なによりその眼が、黒かったその眼が白となっていた。
「シグナム、副隊長……?」
「あとは、わかったな?」
 烈火の将らしからぬ暖かい声で、シグナムは言った。
 直後、瞳が黒に反転し、表情も悪魔的な笑みに冒された。
「!」
 スバルは本能的にレヴァンティンを蹴り上げ、それが生み出した慣性で身を立たせながら距離を取った。
 そして、つぶやく。
「わらかない」
 けれど。
「やるしかないんだ!」
 スバルのリンカーコアが、彼女の中で流星のごとき荒ぶる光を放った。
 激情とともに生まれた咆哮は勇ましい魔力が風を生み、熱を吹き飛ばす。
 左を後ろに、右を前に出し、脇を絞め、叫ぶ。
「ロードカートリッジ!」
 鋼鉄の拳から、金属音と共に薬莢が排出される。
 そのうちの二つを、スバルは二段の回し蹴りで撃ち飛ばした。
 それは鋭い一線となって、シグナムの顎と眼を狙っていた。
「過ぎるほど……小ざかしい!」
 先に飛んできた鉄くずをレヴァンティンで弾き、眼に迫った方は払いの反作用で避けていた。
 その時である。スバルを視界から失った。
「いないところに、いる!」
 短く呟き、刃を地に向け、レヴァンティンを脇に抱える。
 その剣先は、スバルの鼻先に触れていた。
 しかし、それはすぐに、振り下ろされたリボルバーナックルに沈められた。
 即座に返し、身ごと捻りながら刃を縦に一周させ、スバルの頭上を狙う。
 それを見透かしたかのように、振り上げられた右の鉄槌打ちがシグナムの手首を捉えた。
「ぐっ……!」
「づあっ……!」
 突かれた意表と想像以上の力。
 シグナムもスバルも、訪れた想定外にわずかながら自失した。
 だが、先に取り戻したのはシグナムだ。
 ごり押しするかのごとく、二太刀を振り下ろす。
Protection
 間隙に放たれた機械語と共に、青い魔力に包まれた左手が、その刃を寸前で抑えた。
「さすが、ヴィータに鍛えられただけはある。だが……」
 ガシュン、と金属音がレヴァンティンから重々しくなった。
 しまった、とスバルは思った。
 シグナムがまだ、カートリッジを使用していない。
 かろうじて攻勢に転じかけていたバランスは、この一音で瓦解した。
「紫電・零式!」
 魔力で生まれた炎熱がスバルのバリアを押し潰そうと、燃え盛る。
 割れれば手から頭までのわずかな距離だ。
 今のシグナムの腕力では、助走には十分であった。
 炎の向こうで、さぞかし悔しい表情をしているに違いない。
 シグナムの中に潜む魔性がニヤリと笑った。
 その時、烈空が彼女の左側から接近していた。
 気づくや否や、瞬く間にシグナムの左頬を振りぬき、バランスを崩させた。
 殴りつけた腕は、シグナムから炎の魔剣をすかさず奪いとり、峰でシグナムの体を振り抜いた。
 自身の身長四つ分ほど飛ばされた時、彼女は唖然としていた。
「やっと、奪えた……いや、取り返せた、かな……」
 そう呟いたスバルの顔は疲弊しきった。
 だが、余裕のある笑みを漏らし、強いまなざしをシグナムに向けていた。



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